学生時代のご馳走は、やはり何と言っても「焼肉」だった

 

仕送りが入った日、バイトのお金をもらった日、ちょっと贅沢だけど焼肉を食べることで至極幸せな気持ちになれたものだ

 

帯広で焼肉を食べるとなると、南大門か平和園、若干の好みに違いはあったが、両者ともに美味かった

 

世話になっていた下宿に近かったこと、昭和の時代としては珍しく深夜遅くまで営業していたこともあり、南大門総本店へ行く機会が多かった

 


 

夜中に「南大門行くべ」と誰かが言い出すと、ポケットを弄り、小銭と伊藤博文(当時の千円札)を握りしめ、誰かの車に乗り込んだものである

 

東北の田舎で育った私は、本格的な「焼肉」という食文化に触れたことがなく、ましてや、クッパ、ビビンバ、レバ刺し、酢味噌で食べるセンマイなどは未知の食べ物だった

そして、初めて食べた辛いスープのカルビクッパが驚くほど美味かったことは忘れられない

 

同じ下宿に住む友達が南大門が好き過ぎて、アルバイトを始めてしまい、なぜか意味も無く妙に嫉妬したことを思い出す(笑)

夜中2時、3時に帰って来る友を待ち、今日の賄いは何を食べたのかといちいち聞いていた

 

お店のメニューには焼肉だけでなく、ナポリタンやカレーなど様々なバリエーションがあり、今思い出すだけでも唾液が溢れるような料理がたくさんあった

 

そのバイト君がありつける賄い食事の話で、「焼肉屋さんが作るカレーのあの濃厚さは何から来てると思う?」という思わせぶりな質問に、様々な具材が煮込まれていく行程を想像する腹を空かせた青少年たちは、悶絶しながら頭を悩ませ、ありとあらゆる知っている具材を叫んでいた

 

りんごとハチミツ!、牛スジ!、チョコレート!?、バラ肉!、脳みそ!?、全部ハズレ

 

答えは牛脂

 

それも、大鍋で作るとしても、その量を入れるのかい!!!!!という量なんだそうだ

バイト君が言うには、大きな寸胴鍋にコンクリートブロック程の牛脂をゆっくりと野菜や肉を炒めながら溶かし込んで行くらしく、「それを一日以上かけて煮込んでいくからあの味が出るんだ」とどや顔で語っていた

 

そうなるともう真夜中の飢餓状態はピークに達し、悲しいかな、米なしでボンカレーを温めてすするしか術が無かったことを思い出す

 

 

そして、もう一軒の「平和園」

 

 

この店は、帯広駅前に本店があったので若干生活圏から外れていたこともあり足しげく通ったわけではないが、一度親戚の家族に腹いっぱいジンギスカンを食わせてもらったことがあった

 

丸いジンギスカン鍋ではなく、鉄板ロースターで食べるジンギスカンは、また別の美味しさを提供してくれて、白ご飯が進んで進んで困ったものだった

 

美味しい焼肉屋さんでコスパも良いお店だったのだが、街中にはどうしてもコンパで出ていく機会が多く、したたか飲まされて泥酔している青少年はもう焼肉を食える状態でないことの方が多かった

 

昨秋、この平和園本店の隣のホテルに数日滞在していたので、夜中に窓を開けて帯広市内の夜の風景を静かに眺めていると、どこからともなく焼肉とたれの匂いが漂ってきて、初老のおじさんも思わず涎が垂れそうだった

 

この次帯広を訪問したら、平和園でお一人様焼肉を楽しみたいものである

 

今の学生さんたちは、どんな思いで、どちらのお店を選択しているのだろうか

 

食べログなどのたくさんの情報が溢れている今の時代、空腹に研ぎ澄まされた五感で物を食うと言うことは無いんだろうなぁ