内館牧子さんの「終わった人」を読んだ

 

序盤から中ほどまで、主人公と同年代の人間にとっては、いやぁ~キツイなぁと思わせる展開と行き場のないどん詰まり感が至る所に散りばめられていた

 

私は主人公のような超エリートではないので、優秀な人が持つ引っ込められないプライドや高位で他人と比較し合うストレスなどは次元が違うなと思った

でも、仕事をしていく中でセンターラインから外される経験も少なからずしたし、なんであの人があのポストに就くの?と世の中の理不尽さを感じながらも、人は人、私は私と割り切る努力をして、けっこう気力と体力の限界近くまで働き、最後まで倒れることなく走ってきた

 

その甲斐あってか?(自分でもよくわからないけれど)、慎ましく第二の職場を用意されて、定年後の閑職でもなく、そこそこの役割を持たされて仕事をしている

 

現役時代に激務を経験した人は何もせず少しゆっくりしたいなぁ~と思ったりもするが、制約の無い生活を楽しめるのは、数カ月だと思うし、この小説でもそう語られていた

 

ネタばれになってしまうが、主人公は、終わった人になり切れず、仕事で輝くことを切望し、身の丈を超えた(と後に気が付いた)役目を背負い、ものの見事にすべてを失い、最後は温かい仲間たちが居る故郷に帰ることになったのだが、最後が少しばかり腑に落ちなかった

全ての人にとって故郷が優しい場所ではないし、待っているのも厳しい周りの目かもしれない

故郷で神童として名を轟かせた青少年時代があってこそ、帰った時に皆が寄ってくるんだろうと思う

 

私はそういう経験が無い、逆だ(笑)

 

話は少し変わるけれど、私の周りに、悠々自適を満喫すると言って、勧められた早期退職を受け入れ、慣れない農業を始めたり、それまでのイデオロギー的な行動とは真逆のNPO活動などを始める人もいるが、果たして.....、本当にそれがやりたかったの?と問いかけてみたくなる

 

そこに居場所があるからなんだろうなぁと理解できないわけではないけれど

 

嫌な言い方をしてしまったが、終わった人のうちの男性は皆、寂しいんだと思う

まとわりつく寂しさから逃げられないんだと

 

でも、どうしても受け入れられないことがあって、ちょっと愚痴を言わせてもらう

 

学生時代の仲間で立ち上げた数十名のグループメーリングリストに、退職後に始めた農業の収穫報告を頻繁に上げたり、孫自慢の写真をアップしたり、この人知ってる?的にその人の個人情報(電話番号や住所)をメーリングリストにガッツリ載せてしまったり、旅行で出かけた先の近隣在住者に前触れもなく招集をかけたりと、なんでそんな行動をするのかと思うようなことをする人間がいる

 

これがまさしく老害なんだろうと思う

自制が効かなくなってしまう、悲しいことだ

 

こう言う人間とは関わりたくないと思いつつも、やはりこのままにしてはおけないだろうと危機感を抱くのは余計なおせっかいなのだろうか

 

前期高齢者が老害の仲間を憂う、これも悲しいことだ

 

「年をとることは、やりきれなく切ない」

女優でモデルで、エッセイストの岸恵子さんが言っていた

 

冬になったら、何となく低空飛行になって、読んでくれる人の心のエネルギーを消耗させるブログになってしまった

「終わった人」は自分に始末をつけられない