筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

          筑豊の鉄道 筑豊本線 その3(若松-藤ノ木駅間)

 

 
   若松駅 と 藤ノ木駅の中間の鉄道の陸側には 国鉄若松工場 があり。 明治25年に 筑豊興業鉄道の若松貨車製作所 として誕生しのちに 国鉄若松工場 となりました。 貨車の定期検査や修理で 最大時には 637人もの職員が働いていましたが 石炭輸送が減り 昭和60年11月30日廃止となり実に92年の歴史を閉じました。
 
  洞海湾の開発は、 宝暦12年(1762)遠賀川から洞海湾までの堀川運河の難工事が完成 し洞海湾を埋め尽くす 最盛期8000隻の川平太(五平太舟) が 往来したといわれています。 しかし洞海湾は、 干潮には船が運航できない浅い海のため 安川敬一郎・ 麻生太吉 が政界・国を通じ多くの融資・補助金をうけ 若松築港会社 により若松港 を整備します。 さらに 明治30年(1897) 官営八幡製鉄所 誕生により  洞海湾 は 筑豊本線の鉄道輸送 に繫栄 をもたらしました。 若松-藤ノ木駅間 の 久岐の浜には 鉄道橋・整備により 若松港の発展 に大きく貢献しました。
  
  現在は、久岐の浜ニュウータウン 12階建のアパートが建ち並び 列車・ホームからも見える 大きな団地群となっています。 若松駅より キロ程 2.9Km  藤ノ木駅 に着きます。 位置は 北緯 33度53分36秒  東経 130度46分55秒 の位置にあり 明治37年5月8日 藤ノ木信号所 として開業し 昭和9年1月14日廃止となりましたが 昭和19年8月12日 旅客駅として開業 しています。 この駅は 元・身体障害者モデル駅 でありました これは構内の貨物操車場の仕事がそれだけ危険で怪我人も多かった ためであろうと記されています。 現在は、 委託駅  乗客数 405人 と記されています。

 

 

      若松-藤ノ木駅間の2.5万地図        若松-藤ノ木駅間航空写真地図 

 

 

JR九州路線地図(赤丸 若松-藤ノ木駅)       操作場跡が現在若松南駐車場

 

 

    県営住宅 久岐の浜団地案内板          久岐の浜より若戸大橋方

 

 

     久岐の浜より南西方                昭和10年当時の若松埠頭

 

 

      明治30年代の若松港          明治末期 多数の川ひらたの若松港

 

 
      石炭の船積み作業                    藤ノ木桟橋 
 
 
    石炭を運ぶごんぞう達        昭和10年当時の船溜まり  昭和33年久岐の浜ニューウタウン
 
 
    現在の久岐の浜船溜まり 1          現在の久岐の浜船溜まり 2
 
 
       久岐の浜埋立地              久岐の浜 住宅団地群
 
 
    対岸には八幡・帆柱山              藤ノ木駅付近の踏切・列車 
 
 
       藤ノ木駅の駅名標                   藤ノ木駅舎
 
 
       藤ノ木駅路線図                   藤ノ木駅舎正面
 
 

次回は、筑豊の鉄道 筑豊本線その4(藤ノ木-奥洞海駅間) へ