筑豊の国学者 「太宰管内志」 の 伊藤常足(いとう つねたり)
伊藤常足は、 江戸時代後期(安永3年12月21日(1775)-安政5年11月19日(1858))の 国学者 で 地誌 「太宰管内志」 の著者として知られています。 伊藤常足は、 書中で尊敬した 貝原益軒の「筑前国続風土記」 に師事 青柳種信 の 「筑前国続風土記拾遺」 をさらに九州管内にまで広げた 「太宰管内志」 の 執筆に37年の歳月を掛け この書を含む 数々の著書を福岡藩に献上しました。
伊藤常足は、鞍手郡古門村古物神社 神職 の家柄で 「伊藤家家事雑記」・ 「槙家集」・ 「百社起源」・ 「古寺徴」 などの著書 さらに 学問の師として 地元・遠賀郡・ 山口・ 糸島桜井大神宮 で 200人の門人を指導しました。 門人から訪問を受けたり 時には 自ら各地へ赴き 和歌の指導 にもあたりました。
前回の、筑豊風土記の 小田宅子・ 桑原久子・ 農政家 菊池六朔(現・宮若市の農業指導家) などの多くの門人を指導し 特に 地方女流文芸家を多く輩出し また 近隣の子供達への寺子屋の指導も行った ことは 伊藤常足の指導力 と わけ隔てのない 地元、国学者・神官としての真剣な姿が 大きくあらわれています。
伊藤家家事雑記 は、神職・家庭の記録帳 ですが゛ 国学者としての伊藤常足 の日常と 常足58歳・ 長男大弐(画家南華)34歳・ 次女ゆみ(文学者)・ 孫直江(国学者)の生活・ 活躍 が描かれています。 しかし 生活は裕福とは言い難い生活であったようです。
神職の家に生まれた。 苦しい中に 亀井南冥に儒学 青柳種信に国学 35歳を過ぎて京都に遊学・ 伊勢参宮・ 松阪で 本居大平の門人となり 伴信友・ 足代弘訓 と共に学び 香川景樹 ら 当時の一流文化人とも交際 も しました。 自宅に私塾を開き 国学・和歌を 教え 桜井文庫の創設 にも関わりました。 83歳 まで古門の地で 古物神社の神官・ 国学者 としての 伊藤常足の功績 は 「太宰)管内志」 を含む多くの資料 と 保存の 県指定文化財 伊藤常足邸 を 多くの方々が今も 訪れられています。
太宰管内志の 国学者 伊藤常足 鞍手群鞍手町大字古門付近
伊藤常足邸説明板 県指定史跡 伊藤常足邸
太宰管内志 伊藤常足編 伊藤邸の内部
伊藤常足邸の書のふすま 古物神社参道・伊藤常足邸入口
古物神社・伊藤常無足邸遠景 古物神社の境内
古物神社名板と神鈴 古物神社・木月・剣神社の神額
36歌仙の歌と歌い人 豊臣(羽柴)秀吉絵馬
伊藤常足の略歴年表 1 伊藤常足の略歴年表 2
糸島の桜井大神宮 伊藤常足資料 1
太宰管内志の伊藤常足の書き込み 伊藤常足資料 2
85歳の終歌の説明文 伊藤常足の歌
地図位置情報 伊藤常足邸 北緯 33度48分38秒 東経 130度39分32秒
古物神社 北緯 33度48分37秒 東経 130度39分30秒
筑豊 の 国学者 「太宰管内志」 の 伊藤常足 終り