筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

        筑豊 の 今昔  飯塚市川島地区 その3 (川島の昔と今)



  川島地区 は、筑豊風土記 遠賀川 のテーマの中でも 遠賀川と縄文・弥生の時代(3) ・ 古墳時代の遠賀川(4)  で紹介しました。  今回は、 縄文・弥生時代の人達の生活 や 川島古墳・寺山前方後円墳 の ある古いイメージ と 宮田・飯塚を結ぶ 鯰田中線の道路 と 遠賀川に架かる 川島大橋(仮称) を 紹介したいと思います。 


  川島集落の中央四差路から 東方約160mの道路左に 寺山古墳の説明案内板 があります。 直ぐ傍には ちっちゃな 地蔵菩薩の祠 があり このさらに北側に 寺山前方後円墳 はあります。 寺山前方後円墳は、全長60mの前方後円の古墳で円筒埴輪の数が多く出土しました。  また 川島古墳公園 は 川島橋より北方 500mの 送電線の通る高台にあります。 川島古墳公園は 昭和63年(1988年) に道路改良中に発見された 6世紀頃の装飾古墳で 平成4年(1992年)に 県指定史跡 となっています。


  川島古墳公園高台より 川島集落方向の眼下に 現在広い大きな道路 鯰田中線 が 幸袋支所付近 より 遠賀川の 川島大橋(仮称) も工事もほぼ終わり 盛土区間から切土とかわりながら 福山通運横より 国道200号線に立体交差する新設道路工事 が終盤の作業に はいっています。  昨年は、 遠賀川の川舟 五平太舟の試乗会 もあり 多くの方に川島の街並・川島大橋(仮称)を舟上から楽しんでいただきました。


  完成予想図を みても わかるように 縄文・弥生時代の生活の場 であったであろう 川島地区を 現代の交通の大動脈の道路が堂々と横切 っています。 自然・歴史を大事にすることも必要ですが 現代・未来に生活する私達にとって 道路も必要だと 心に言い聞かせる 筑豊風土坊でありました。


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    川島古墳 と 川島大橋(仮称)付近         寺山前方後円墳の説明板と地蔵尊

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        寺山前方後円墳説明板                  川島古墳公園案内板

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          川島古墳公園 1                      川島古墳公園 2

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          川島古墳説明板                      1号 古墳全景

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          2号 古墳全景                   10号 古墳よりの古墳公園

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       10号古墳と鯰田中線の工事             川島古墳より遠賀川を望む

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       鯰田中線の完成予想図             国道200号と鯰田中線交差部工事中

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      鯰田中線川島から幸袋を望む          鯰田中線の川島大橋(仮称)を見る

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      川島地区の鯰田中線工事中            川島側から見る川島大橋(仮称)

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  川島大橋(仮称)から国道200号交差部を          川島大橋(仮称)完成予想図

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    川島大橋(仮称)と五平太舟・舟着場            五平太舟試乗会記念写真


 地図位置情報   寺山前方後円墳   北緯  33度39分24秒  東経  130度41分27秒
               川島古墳公園   
北緯  33度39分39秒  東経  130度41分33秒

              川島大橋(仮称)   北緯  33度39分42秒  東経  130度41分20秒

            幸袋五平太舟着場   北緯  33度39分37秒  東経  130度41分15秒




         今回で、 飯塚市川島地区 筑豊 の 今昔 は終わります。