筑豊 の 今昔 飯塚市川島地区 その2 (下町)
川島地区は、 北から下町・ 上町・ 殿町の町名 で 1990年当時は、 約100世帯・ 人口約400人程度 さらに 今でも120年前建てられた旧民家が数軒あります。 集落は南北に通じる道路 と 遠賀川堤防の道が通り 東西に三か所程度の横道があり その交点には 北より 疫神社・ 天満宮・ 庚申尊天 が 中の通りは、宮地嶽神社・ 鎮西四国71番札所・ 幸神・ 庚申塔・ 正恩寺・ 蛭子宮・地蔵尊 殿町の南通りには前回紹介した 堤防上の祠・ 興玉神・ 猿田彦大神が 更に南に川島八幡 と 神社内にも多くのお堂・ 祠・ 石碑 があります。
このように集落の各所に 更に南北の通りの中にも 阿弥陀仏堂 と 集落の中に遠賀川・ 船頭・ 蝋 作業の安泰・繁栄を願った信仰心の深さ がよく表れています。 下町の中でも遠賀川堤防に有る 宮地嶽神社も海運交通の安全 を願い 明治になって約60名の名前も祠に刻まれ その当時、五平太舟による 石炭輸送の繁栄と無事 を祈って 更に祠の屋根には、打出の小槌と巾着 が彫られています。
北方の 疫神社・ 天満宮 は、弘化2年(1845,年) に奉納されている 「船中安全」の常夜灯にも 53名の寄進者名 が刻まれています。 このため 毎年10月には 4社祭 と称する 志賀神社・蛭子宮・ 宮地嶽神社・ 天満宮の合同祭事 が行われています。
川島は、先にも記したように 大正5年当時の遠賀川河川改修(伊藤伝右衛門が国会議員として遠賀川の河川改修は 以前に記載) で堤防が完成するまで洪水に 特に川島対岸の建花寺川 や少し上流の 穂波川・嘉麻川の水害の被害を受ける 悪いこともありましたが 逆に 水運を利用する 川島地区の大きな 地の利もあった 事がうかがえます。
また 江戸時代の、司馬江漢の長崎街道の旅行記の中にも 「木屋瀬より飯塚まで、7里半の道 この間、 鶴 多く いく群れにも飛び 田におりたる また 道々は ハゼの木 植えて 紅葉し美し」
このように 川島近くの長崎街道には ハゼ は 蝋燭の原料 で 川島に今にも残る 旧家は 昔、 蝋(ろう) つくりの商売を された旧家 との話で室内も その当時の なごり を残す 古い立派な造りでありました。
川島地区航空写真 宮地嶽神社の祠
川の守り神 宮地嶽神社 宮地嶽神社の神額
宮地嶽神社の祠 宮地嶽神社全景
宮地嶽神社・鎮西四国のお堂 正恩寺の山門より
正恩寺の本堂 正恩寺裏の幼稚園
蛭子宮祠 川島下町道りの旧家1 北側より
川島下町道りの旧家1 南側より 川島下町道りの旧家1 内部
川島下町道りの旧家2 南側より 川島下町道りの旧家2 正面より
疫神社・天満宮・観音堂 その1 疫神社・天満宮・観音堂 その2
庚申尊天の碑 下町の庚申尊天付近より南方を見る
下町疫神社付近と遠賀川 川島付近2.5万地図(縮尺任意)
地図位置情報 宮地嶽神社 緯度 33度39分24秒 東経 130度41分13秒
正恩寺 緯度 33度39分25秒 東経 130度41分15秒
蛙子宮 緯度 33度39分24秒 東経 130度41分18秒
川島の旧家 緯度 33度39分26秒 東経 130度41分18秒
疫神社・天満宮 緯度 33度39分29秒 東経 130度41分18秒
庚申尊天碑 緯度 33度39分29秒 東経 130度41分19秒
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