筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

   筑豊 の 今昔  菰田東地区(鮭観音・ まぼろしの道路・ 三嶋神社 )




  筑豊の中でも 至る所に昔から ひっそりと目立たない 祠・神社・観音堂・ 忘れ去られた物・場所が多くあります。 地元の人にとってもその歴史や どうしてそこにあるのかわからないものも多くなりました。 今回こんな 地元の人にも あまり知られていない 筑豊風土坊にとってもわからない しかし 今でもある こんな場所を 訪問してみました。


  最初に、 筑豊風土坊にとって 子供の頃 より知っているけど なんでの 菰田東の 場所を 紹介してみました。 菰田東地区は 飯塚市の中心街より昭和道りを 南方に飯塚橋を渡り 飯塚駅・筑豊本線の東側の嘉麻川で囲まれた 地区が菰田東地区です。 菰田小学校・ 近畿女子短期大学のある場所です。


  今回、 紹介する場所は 菰田小学校周辺の 鮭観音・ まぼろしの道路・ 三嶋神社 を 紹介します。 鮭観音 は 菰田小学校の東門で運動場に入る裏門(飯塚市菰田東2丁目19)の横にちっちゃなお堂が 鮭観音様です。 中には、弘法大師・ 千手観音の石仏と古い板碑があります。 板碑は、砂岩製で 高さ113cm 103cm  厚さ 30cm の上端円形で 阿弥陀如来・ 観音菩薩・勢至菩薩の三体の仏像を表す梵字が刻まれています。 壁に張られた説明では板碑には建立年月がなく 嘉穂地方では最も古い(鎌倉時代頃) と説明されています。


 鮭観音より 北方約230m より筑豊本線に直交する(筑豊木材の北側)に 約200mの 古い盛土の堤防・道路 か わからない古い構造物が 今も残っています。 これは戦前に 現在の国道211号を計画し一部造られた場所といわれています。 現在はこの旧計画道路ではなく 菰田小学校・嘉麻川左堤防下より東町橋につながる国道211号が昭和45年以降に造られましたが 戦前の建設途中で使われることもなかった まぼろしの道路 として集落と田の境にありましたが 現在では この旧道路の 回りにも人家・アパートが立ち並び 疑問を持たせる 忘れ去られたまぼろしの道路となっています。


  この場所より 南方へ200mで 菰田地区の氏神様 三嶋神社 があります。 ここも 参道の正面には菰田小学校の校門坂が正面に 菰田小学校の生徒たちにとっては帰り道の 遊んで帰る お馴染みの神社でした。 金丸庄薦田(こもだ)村の祭神 大山祇神 木花開耶姫神 西暦990年頃 の 飯塚・ 菰田地区では 古く由緒のある三嶋神社 でした。 現在も神社周辺は 木の花の町名が残り 参道掛には池や 周りにも蓮根掘りが広がる敷地でありました が 筑豊風土坊の訪問時は ひっそりと 神社内部には 神額・絵馬が 堂々とかざられていました。 


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  菰田東付近の昭和22年の航空写真      菰田東付近の現在の航空写真

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      菰田東付近の現在の地図        菰田小学校と国道211号と鮭観音

          
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     道路の横にひっそりと鮭観音                   鮭観音の正面

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         鮭観音の内部                         鮭観音の板碑

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         板碑の説明板                  菰田小付近の国道211号と住友ボタ山

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    国道211号と筑豊本線嘉麻川鉄橋             まぼろしの道路橋梁部南側より

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     まぼろしの道路橋梁部北側より                 旧道路より 東側を見る

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     旧道路より住友忠隈ボタ山を見る                北側より旧道路を見る

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    旧道路より見る筑豊本線の列車                  三嶋神社の参道より

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    神社正面には菰田小の校門坂                 三嶋神社の社歴説明板

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       三嶋神社の内部・神額                     神社内部の天井絵馬




             次回は、 筑豊 の 今昔  (英彦山神社) へ