筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

                 今でも活躍する 漆生用水路 その2



村田耕花園より北に流れる漆生用水路を下ると国道211号線沖出交差点の西に達します。 これより水路は 向きを北西方の山尻に沿い流れます。 約300mで 赤い水門と漆生水路の記念碑があります。 ここには漆生用水路の説明碑・ 記念碑・ さらに古い2本の名称碑・ 記念碑 があります。 


ここには、写真の中にある陶磁製の説明文が記載されています。 記念碑には、 漆生用水碑  光代溝流如紫淵   遥来此地潤公田  百家堪説先人徳  農務干与歓豊穣  の記載が有り 横面には 結婚60年記念 野見山 恭三氏より  平成7年に再建寄贈・  裏面には  発起人 栗人 彦左衛門  保正 八尋 忠左衛門  先役 八尋 仁右エ門 水路石垣には 2本の名称碑・記念碑がありますが 現在は風化し読めにくい状態となっています。 この場所だけでも 4本の碑が 見れ多くの人々からの感謝 の表れと思われます。


この場所より用水路は、分かれ田に入る水路 さらに下流の漆生本村の道路の西を沿う本流に分かれ 国道211号の少し手前から西方向に曲がり さらに少し先より北方へ田地の真ん中を流、最終的には漆生第一用水排水樋門へ嘉麻川へ戻ります。 延長約4.3km 流域面積約200haの終点 となります。 


昔の用水路でいつも思うのですが レベルといわれる測量器械の無い時代に 田畑を潤すための長い水路を いかにして造ったか 更に言えるのは 約400年前に造られ 今も活躍する 漆生用水路を見るとき 先人の努力と不屈の精神を感じます。  更にこの 漆生用水路がさらに永い時代にも活躍することを 願いながら 今にも活躍する 漆生用水路 を終わります。


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       漆生本村の漆生用水碑                 漆生用水路下流 1/25000

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       漆生用水路航空写真                 国道211号沖出交差点付近

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       漆生本村の漆生用水碑付近                 漆生用水の説明版

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             説明版の内容                   漆生用水記念碑

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       漆生用水記念碑裏面と説明文            旧漆生用水記念碑

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        漆生用水終点遠景               漆生用水第一排水樋門(嘉麻川)


                           位 置 情 報

国道211号沖出交差点   北緯33度34分46秒  東経130度43分08秒 標高37m

漆生本村漆生用水記念碑  北緯33度35分07秒   東経130度42分59秒   標高30m

(漆生用水樋門)嘉麻川終点 北緯33度35分33秒  東経130度43分06秒  標高29m



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