筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

                福岡県指定史跡  前方後円墳 沖出古墳公園



  沖出古墳は、2013年3月13日古墳時代の遠賀川(4) で概略のお話はしましたが 漆生用水路で国道211号の沖出交差点に来る機会がありましたし 碓井・漆生のお話が出ましたので 沖出古墳公園 を再度、詳細の説明をさせていただきます。


沖出公園古墳は、国道211号線沖出交差点を東に約200mの道路左側に大きな前方後円墳 が見えます。 平成9年7月25日に福岡県史跡 に指定され平成14年に古墳公園としてふるさとの歴史(文化遺産)や自然に親しみながら総合的な学習・生涯学習の場や憩いの場として整備されました。 


沖出古墳は標高約40mの丘陵地が遠賀川に向かい突出した部分を利用し 全長68m、後円部直径約40m 前方部幅約26m の大きな前方後円墳 で 墳丘は前方部2段、後方部3段で、斜面には石が葺かれ 壺形・円筒・朝顔形・家形の埴輪 が立てられていました。 後円部には、竪穴式石室が築かれ、割竹形石棺 がおさめられていました。


石室や盗掘坑から管玉・ガラス玉・鉄製品(刀・剣・斧・鏃・刀子)などと共に 九州の古墳で唯一、三種類の腕飾り形石製品(鍬形石・車輪石・石釧) が出土しました。 沖出古墳は、大和政権と強い結びつきのあった人のお墓ではないかといわれ 4世紀の終わり頃(約1600年前)頃の古墳ではないかと言われています。



古墳部は、発掘調査に基づき復元整備が行われ周囲の自然を再現し四季おりおりの環境が楽しめる場所 となっています。 沖出古墳公園敷地面積は約15000㎡です。 


今回記載しています各所(正人どんの一鍬掘り から 沖出古墳公園) みな近い距離にありますし車を止めての休憩・歴史訪問を楽しんでみては?   少しPRになりますが 地元農産物の販売所(碓井道の駅 と カッホー馬古屏) も近い距離にあります 歴史探訪と地元農産物の購入・散策 いい場所だと 筑豊風土坊 思います どうぞおいでください。


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      沖出古墳公園航空写真                沖出古墳公園地図 1/25000


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      沖出古墳公園南方より遠景 1            沖出古墳公園北西方より遠景 2                

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      沖出古墳公園南方より遠景 3             沖出古墳公園南方より遠景 4

                 
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            沖出古墳石室                     沖出古墳石室説明板                   


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          沖出古墳説明板  1                  沖出古墳説明板  2                  

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        沖出古墳説明板  3                   沖出古墳後円部   

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      沖出古墳公園遠景  5                 出古墳公園説明チラシ  


                        位 置 情 報


  沖出古墳公園    北緯33度34分48秒    東経130度43分17秒  標高40m





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