筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

                秋月街道  千手宿  (9)


千手宿 は、慶長17年(1612)駅舎を立て千手新町と呼べり その後 千手村と称す。(明治初期に編纂の福岡県地理全誌より)   大正初期の絵地図でも宿場の家業は 医者 3・産婆 1・飲食店 5・醬油味噌屋 5・旅館料理屋 5・魚屋 2・精米所 2・石工 3・床屋髪結 2・菓子饅頭 5・左官大工 5・鍛冶屋 2・ろう染め 2 などの職種で賑わったと言われています。 今は少し面影を残していますが 時代の流れを大きく感じます。  

千手宿の東構口は、本町橋(北緯33度31分44秒 東経130度42分50秒 標高72m) 付近にあったと思われますが その跡はありません。 本町橋より 街道は少し登りの勾配で 千手公民館 ここが 旧役場跡 隣には 愛宕神社 がありますが この宮も参拝の仮宮で神社は東南約1kmの愛宕山上にあり 雷神(防火の神)が祀られています。 道路反対側には 現代的なログハウスの 嘉麻市消防4分団の格納庫 いい取り合わせで ありました。


更に街道を進むと千手小学校裏門(旧正門?) ・西楽寺(鐘楼のみ) ・旧大屋家跡(北緯33度31分38秒 東経130度42分42秒 標高77m) と昔を偲ぶように並んでいます。 この旧大屋家は、嘉麻郡一の分限者といわれた 大屋家で 大邸宅と大小七つの蔵を持つていましたが 筑前竹槍一揆 (大隈宿 その1 (7) で記載説明) において打ち壊しの標的となりその後 住む人もなく朽ち果て数年前に 惜しまれながら壊されました。 現在は、大屋家の歴史を語る 「大屋家史跡」 の石碑が寂しく立つのみです。


秋月街道は、本町橋から大屋家までを 本町 直角に折れて国道322号までを 横町 と言います。 この横町を下る途中に 溝口味噌屋(:現在 麴ありの古風な看板、必見) 前には 享保13年(1728)の 恵比寿像 があり近隣の人たちから祀られています。 隣のお地蔵様 お顔御見ると こちらも笑顔 で答えるような にこにこ顔の地蔵様です。 


ちっちゃな 横丁橋 では綺麗な小川の流れが足を止めます。 橋を過ぎると国道322号で 左へ折れると 直線の道路両脇には 旧家が続きます 約150m位でしょうか 正手口バス停付近に 西構口があったと思われるのですが 見つけることは出来ません。

千手宿を出、 秋月街道は真直ぐに 少しづつ きつくなる登り勾配で 秋月街道の難関 八丁峠超え に進んでいきます。



 筑豊風土坊のブログ-千手宿絵地図  筑豊風土坊のブログ-千手宿東口  
     大正時代の千手宿の絵地図                  千手宿本町橋付近


  筑豊風土坊のブログ-街道1  筑豊風土坊のブログ-街道2
       ゆるい上り本町通                   千手公民館前本町通

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         愛宕神社                           西楽寺

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         大屋家跡                       千手小学校正門
  
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         野辺の地蔵様                 恵比寿様と麴屋・横町通    
  
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         千手の旧家                     現在の国道322号


             
 次回は 秋月街道  八丁峠越え