筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

              秋月街道  大隈宿 その1 (7)


  秋月街道は、猪膝宿を南西方へ1.4kmに 大法山バス停 があります。 右には 飯塚市庄内・頴田に向かう近道で この道を約4kmで 飯塚市高倉(旧嘉穂郡庄内町高倉)集落があり この道路右手に 日吉神社(北緯33度36分26秒 東経130度45分35秒 標高80m) があり 筑前竹槍一揆 の事件発生の地 となっています。


明治6年(1873)、この年は大旱魃の年で 6月になっても雨が降らず 農民の苦労は極度に達していました。 日吉神社でも雨乞いの祈願 が行われましたが 一向に雨の気配もなく 農民もあせりの色を濃くしていました。  その頃、金国山 の山頂で昼は 紅白・夜は火を焚く者達を見た農民は、日照りを願い・旱魃の米価の値段をたくらむ米商人の呪いと 猪膝宿の筆の海と言う親方に談判 に行き 話がもつれ逆に乱暴され監禁されてしまいます。 この知らせを聞いた 筒野の医師渕上琢幸 は日吉神社に6月16日朝、武器・竹槍をもち仲間の救出に行くのですが運悪くすれ違い 救出隊が猪膝宿へ暴れこんだ のが筑前竹槍一揆の発端 です。 この一揆は、福岡県内各地に広まり 米・酒屋・醬油屋 などに多くの被害を与え 参加者30余万人 死傷者70人 処罰者6万数千人 首謀者渕上琢幸は絞首刑 となりました。  福岡・筑豊での 筑前竹槍一揆 として知られていますし この一揆が 以後、 自由民権運動の原動力 になったとまで言われています。


戻り、大法山バス停より左手に畜産団地がありその奥には、その名の通り 擂鉢山(筑豊では珍しい孤立火山)が すり鉢状に美しい 姿を見せてくれます。 更に進むと 山田市内を横切り 旧山田高校前の国道322号をさらに南西に進むと途中には 為朝岩(鎮西八郎為朝の腰掛岩)・ すこし旧道に入ると石畳があるらしいのですが今回は 見つけることが出来ませんでした。 大隈トンネル(北緯33度33分10秒 東経130度44分59秒 標高111m)を過ぎ左への近道を降りると 大隈宿 に入り 右に麟翁寺 ・左北斗宮 に到達します。


大隈宿 は、嘉穂郡でも最も早く町 となり大隈の名の起こりも、神功皇后が 熊鶯 を大熊山(益富城)で征伐したことによると言われています。 


益富城 は、永享年間(1430頃)  大内盛見によって築城されました。

        永禄年間(1560頃) 毛利元就の 領者 杉七郎忠重が城番となりました。

        天正年間(1580頃) 秋月氏の隠居城となりました。 

         天正15年 (1587)   豊臣秀吉が 早川主馬首 を城番としました。
        慶長5年(1600)   黒田の六端城の一つで 後藤又兵衛 城主
        慶長11年(1606
)   後藤又兵衛 は大阪夏の陣で死亡(1615没
)
           同年       母里太兵衛 益富城主となりました。

        元和元年(1615) 一国一城で 益富城は廃城 となります。


 益富城(北緯33度32分48秒 東経130度45分06秒 標高189m)で一番良く知られているのは 天正15年(1587)の豊臣秀吉が30万の兵を連れ小倉に入り 4月1日 秋月との戦いで 秋月24城の一つ 岩石城を1日で破り 種実は種長の古処本城へ逃れ、秀吉は大隈町民の協力で一夜にして張子の城を築き(豊臣秀吉の一夜城) そのため、秋月種実は戦力を失い降参しました。 この協力で町民には 愛用の陣羽織 と 永代免税 を受けたと言われています。


 麟翁寺(北緯33度32分53秒 東経130度44分39秒 標高66m) は,曹洞宗で門に 母里太兵衛の菩提寺 であることが記されています。 門を入ると正面には堂々とした本堂で右手には 日本号 の槍が掲げられています。 この槍は 「黒田節」 で知られるように福島正則から飲み取ったとして有名な 日本号の槍 です。 右手奥の墓地のほぼ中央には 母里太兵衛の 高さ125cm輪塔 があり いつも線香と花が供えられています。


北斗宮(北緯33度32分55秒 東経130度44分45秒 標高76m)は、

  大之御主大神--天地創造の中心神  伊邪那岐神---天地創造の用の神

  邪那美神---天地創造の陰の神

人皇38代天智天皇の御代(紀元1331)若木連 北斗星の信仰 篤く 益富山に延命・長寿・縁結びの神 これが北斗宮の始まり とされています。



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        高倉日吉神社                  のろし上げの金国山
  
  
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        高倉日吉神社本殿                  大隈トンネル

  
  
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        益富城史跡柱                      古処山方向を望む

  
   
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           北斗宮                          北斗宮本殿 

  
   
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            麟翁寺                       母里太兵衛の墓

          

      

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