筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

            金辺峠 から 採銅所 (3)


金辺峠は、慶長2年(1866)小倉戦争において金辺峠 を死守した 小倉藩筆頭家老で25歳 島村志津摩 が長州藩との戦いでの雨の中を小倉から 一万数千人の人々を思い下った峠には 島村志津摩の碑(北緯33度44分11秒 東経130度51分29秒 標高212m)と 水場と 郡界石 見ることが出来ます。 峠を下るとすぐに 旧道路金辺トンネル(北緯33度44分08秒 東経130度51分29秒 標高201m) が今は通ることは出来ませんが 見えます。


現在の国道322号を下ると北方には、今下りてきた峠が大きくV字に落ち込んだカルストの谷を見ることが出来ます。 更に下ると JR日田英彦山線金辺隧道口(北緯33度43分45秒 東経130度51分27秒 標高138m) の口に 「絶山嶺横」 の文字が石額 に堂々と刻まれています。  堂の前では、庚申塔 も見ることが出来ます。


後入道への上り口には、現人神社(おサル様)(北緯33度42分50秒 東経130度51分05秒 標高121m) 鎮座し 社記では、三宅野命と香春岳城主原田義種の二柱が お祀り されています。


JR採銅所駅(北緯33度42分26秒 東経130度51分12秒 標高96m)に戻ると、大正4年建設当時の姿を見せる駅舎が向かえてくれます。(駅は、昨年香春町により改修されましたが昔の面影を留めています。) また採銅所駅ホームは、春の桜の季節には 見事な桜の花の駅 となります。


駅より旧道に出、香春方向へ約100mで 古宮八幡神社(北緯33度42分23秒 東経130度51分15秒 標高120m) の階段を上ると本殿が静けさの中に堂々と鎮座しています。 お参りを終え参道を下りると 右手に 従是香春迄壱里 の道標 と 旧採銅所村役場跡 の石碑が建っています。  


もう少しで 清祀殿・ 間歩 ですが 今日は、大分歩きました それではこのつづきは次回に させて頂きます。


  筑豊風土坊のブログ-島村志津摩の碑  筑豊風土坊のブログ-峠の水場と郡境碑
         島村志津摩の碑                    峠の水場と郡界石

   
  筑豊風土坊のブログ-旧金辺トンネル  筑豊風土坊のブログ-金辺峠の全景
         旧金辺道路トンネル              カルストV字谷金辺峠を見る

   
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          堂の前の庚申塔              JR金辺隧道「絶山領横」の額

 
 筑豊風土坊のブログ-現人神社  筑豊風土坊のブログ-現人神社本殿
          現人神社                        現人神社本殿

   
 筑豊風土坊のブログ-採銅所駅  筑豊風土坊のブログ-JR採銅所駅
      採銅所駅より金辺峠を望む                   JR採銅所駅

   
筑豊風土坊のブログ-古宮八幡宮と道標  筑豊風土坊のブログ-古宮八幡本殿
      古宮八幡神社と道標                   古宮八幡神社本殿


    

                    次回は  香春の宿 へ