筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

                  香春宿 その1  (4)



 今回の最初は清祀殿(北緯33度41分56秒 東経130度51分09秒 標高96m) にやってきました。 清祀殿とは 「清いまつりごとをする荘厳な家屋」 を意味し 養老4年(720)御神鏡 を鋳造し裏側の御床石は 当時を示し 西側にお住まいの鋳造神人 長光家には鋳造の文献が残ってい.ると言うことですます。 神間歩(かみまぶ)(北緯33度41分51秒 東経130度51分06秒 標高96m) といわれる 銅採掘・坑道の跡 が南西約210mの香春三岳の山麓にあります。


旧道に戻り南へ約2.3kmに 神宮院バス停があり西へ坂道を登ると大きな観光看版の北側に 高座石寺(北緯33度40分51秒 東経130度50分55秒 標高48m) 更に上ると 神宮院(北緯33度40分51秒 東経130度50分50秒 標高102m) があります。 この2つのお寺は 最澄(伝教大師) が開基創建の寺で天台宗で最澄渡唐の大願成就で建立 されました。 護摩石・座禅石・凡字岩・石割枇杷・大銀杏 などの修行の場所 や名所 を見ることが出来ます。


旧道に戻り更に南へ進むと 香春本町入り口には 従是採銅所 迄一里 の道標(北緯33度40分32秒 東経130度50分57秒 標高49m) これから街道に沿って 殿町・ 職人町・ (札の辻) 本町・ 魚町・ 山下町 の短冊型地割を形成し軍事機能より町の管理機能を優先 (御茶屋は町中央で藩庁跡) させて造られています。 職人町と 本町の境には 「札の辻(北緯33度40分21秒 東経130度50分52秒 標高39m) と 「町口」 があります 道路の両脇には水路を儲け計画的な美しい街並みになっています。


町の中には、正念寺・伊能忠敬測量の碑(文化9年(1812)に秋月街道測量 ・北緯33度40分18秒 東経130度50分49秒 標高39m) と 旧光願寺の大楠 も見れます。 旧藩庁の門(北緯33度40分10秒 東経130度50分43秒 標高44m) は 現在、香春小学校の敷地内に移転され 今でも昔をしのぶことが出来ます。


香春を知る上では、香春岳は「豊前国風土記逸文」 に香春岳や香春の神のことが記されています。 神体山でありますが セメント開発の為 削られましたが、 香春岳城の攻防は約600年間に及び 応永・永禄・天正の戦乱 は多くの歴史物語 として更に1976年より7次の調査で石塁・防塁が出土し戦乱の解明がされています。

次回は、香春の更に古い香春の街を 香春宿 その2で お話します。


  
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