秋月街道 小倉常盤橋 より 呼野宿 (2)
再度やってきました小倉常盤橋、 以前は長崎街道の起点として紹介しましたが 秋月街道 も小倉常盤橋の右岸 が起点でこれより出発します。 近くには伊能忠敬測量200年の記念碑 もあります。 これより南方の 井筒屋・ 旦過橋・ 旧小倉城郭外に出る門が 香春口門跡 さらに進んで 三萩野で 国道三号線を横切り東側に 足立停車場跡 を見ながらさらに南下しJR日豊線手前の城野四つ角で国道10号線 とも別れいよいよ 一般国道322号 に入ります。
国立小倉病院 正門前 をすぎ 右手に 天疫神社の前には以前は一里塚 があったといわれています。 さらに進むと右に北九州大学、左手に 小倉自衛隊駐屯地 があります。 このあたりは 明治・大正・昭和の初期まで軍隊の町 として知られ 建物が延々1.4KMも続き 軍都小倉 とまで昔は 言われたと言うことです。
さらに南下し 桜橋・ 山川式部切腹岩・ 九州自動車道をくぐり石原町 大応寺の入り口には1里塚・ 更に南下して 小野田屋敷跡 ・このあたりに来ると平尾カルスト台地が大きく見えてきます その麓には 霊泉の湧く 大清水神社 に到着します。
呼野宿は、金辺峠にかかる最後の宿場町 として栄えた町です。 この呼野宿には お糸池・ お糸地蔵堂・ 浄土宗金光山大泉寺の お糸と言う女性を祀る場所が多くあります。
お糸は、8歳で父と死別し母と生活していましたが16歳の時、旱魃で餓死者が多く出 村人は協力して平尾台の麓に池を造りましたが不幸にも堤防が雨で流されてしまいました。 堤防の流失を防ぐ為の迷信ですが 人柱にお糸が 自分から承知 しそれ以後 堤防も崩れることなく 日照りでも枯れることなく 現在に至っています。 村人達は、 お糸は地蔵の化身 だと霊を祀ったと言われています。
小倉常盤橋起点 伊能忠敬測量記念碑から秋月へ
天疫神社 小倉駐屯地
大応寺 石原一里塚
小野田屋敷跡 お糸池
呼野一里塚 大泉寺
次回は 金辺峠から 採銅所宿 へ