筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

               挿絵画家  麻生 浩平  (6)


 平成25年(2013) 1月22日、飯塚信用金庫新飯塚支店で 麻生浩平氏の 「絵で見る 炭鉱の記憶遺産」 と題する展示会を閲覧をさせていただきました。 


麻生浩平氏は昭和7年(1932)柏の森 の先祖代々の旧家の三男で 出生され。  昭和31年(1956)まで、聖母幼稚園・立岩小学校・嘉穂中学・嘉穂高校・九州大学工学部採鉱学科・麻生の吉隈炭鉱・セメント田川工場・営業技術支援・中央研究所所長を歴任 。  平成8年(1997)麻生退社 と言う経歴をもたれる方で 近代化遺産の執筆 長弘雄次先生(筑豊近代化遺産研究会会長) の後輩であられる事も 筑豊風土坊 知りました。


明治の初頭の筑豊炭田は、欧米先進国に追いつけ追い越せの富国強兵の時代から さらに戦前・戦中・戦後の激動の時代の歴史 など ヤマの仲間の尊い足跡を 「絵で見る 炭鉱の記憶遺産」 を後世に語り継ぐ為に 努力されています。


炭鉱絵というと どうしても 山本作兵衛 さんとの比較をやってしまいがちですが 作兵衛さんは、明治・大正の炭鉱の初期時代で 絵についても、個人的才能で描かれ(当然、ユネスコの世界遺産に選ばれた素晴らしいことは十分理解しています。)

麻生浩平氏の炭鉱絵では、すでに石炭の最盛期から衰退期に努力する炭鉱の歴史、 絵についても個人趣向の絵ではなく 学術的な表現と説明力を備えた 別のもので この両者の絵を見ることにより 筑豊の炭鉱の記憶がより鮮明になると 筑豊風土坊 は感じます。


今回、麻生氏の描かれた 絵で見る 炭鉱の記憶遺産 を 少しでも多くの方々に見ていただき 炭坑を再認識して頂きたいと 筑豊の美を求める人達 中に登場ねがいました。

 

  
  
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         6-5 石炭輸送                         6-6 石炭列車輸送


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                     絵 の 説 明 

 6-1 切羽作業1---炭鉱での石炭掘削の最前線、切羽で新技術へのチャレンジ作業 
 6-2 推進作業---掘削は常に前進します そのための坑道の保持・管理作業 
 6-3 切羽作業2---遠隔操作による水圧鉄柱や掘削機械による効率と安全の作業へ

 6-4 仕繰作業---坑道保全と安全への為の作業

 6-5 石炭輸送---明治中期より鉄道へ・ それ以前は五平太舟による川舟輸送の時代

 6-6 石炭列車輸送---最盛期は石炭列車が50両以上も連結される時代もあった。

 6-7 山の娯楽1---炭鉱の運動会は家族全員の地区参加の運動会が娯楽でした。

 6-8 山の娯楽2---嘉穂劇場の演劇には多くのお客が弁当持参で観覧した。

 6-9 駅とボタ山---折尾駅・直方駅と筑豊の駅の玄関としてボタ山も各地で造られた。

 6-10 麻生・伊藤邸の門---麻生本家の門と伊藤伝右衛門邸の長屋門豪華さを誇る。

 6-11 吉隈炭鉱全景---一つの炭鉱で一つの町になるほど炭鉱全盛期は賑った。

 6-12 復興へ昭和25年---あるヤマ男 T氏の若かりし頃の 青春の画像



    次回は、 筑豊の美を求める人達 を 中断し  秋月街道 へ