筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

                仲哀天皇・神功皇后・応神天皇  (5)


遠賀川のシリーズに入り、少し面白くないですかね、閲覧者が減少しています。 反省をしつつ 今回少し横道にそれるかもしれませんが 仲哀天皇(14代天皇)・神功皇后・応神天皇(15代天皇) (以後、三神と記載させていただきます) に付いて語りたいと思います。


この九州北部・筑豊において神話・言い伝え・地名に三神の名前がよく登場します。 例えば みやこ郡勝山町と香春町の峠を 仲哀峠(仲哀トンネル) また 仲哀天皇の御陵 と言われるものが福岡県内で5箇所ほどあります。 神功皇后・応神天皇 に関する所も 飯塚市地区 大分八幡宮・衲祖八幡・鶯塚・綱分八幡神社・日若神社・ショウケ超 など 田川地区 鏡山神社・若八幡神社・田川神社、直方市多賀神社そして 北九州市八幡西区 岡田宮・帆柱山・若松区恵比寿神社と 神社関係をあげればまだまだ続きます。


仲哀天皇・神功皇后については、実在の人物か、と疑問視される事もありますが これだけの3神の名が出てくるのは 実際におられたから この九州北部での行動の話からも 有りと 私は考えます。 日本の古代史を著わした歴史書は、古事記(稗田阿礼が誦習し太安万侶が筆録し712年完成)  日本書紀は、(12人の編集によって政治的意図のもとに編集された歴史書720年に完成) の中にも仲哀天皇神功皇后の記載ががあります 両書をまとめて呼ぶときには 「記紀」 と略記します。


仲哀天皇8年に、熊襲がそむいたので筑紫に天皇は下り 岡(遠賀郡オカノアガタ)の縣主の祖熊鰐が周防国まで迎えに行き、山鹿岬を経て岡津(芦屋) に案内します。 神功皇后は、別船で洞海湾から江川に入ろうとしますが、潮が引いて進めなくなります。 熊鰐は洞海湾を通って引き返し、その有様を見てすぐさま魚沼・鳥池を作り、魚鳥を集め皇后の心を和らげ、その後 潮時を待つて岡津に入ることができます。

現在、若松区払川にその遺跡と言われる魚鳥池があり。 昔は 芦屋の岡の水門から大船を入れることができ、江川を通って洞海湾に通じた。 「筑前風土記 にも書かれています。 まして 古遠賀湾 の時代ですから可能であり 現実の話としも納得できます。


仲哀天皇の亡き後、記紀の中で 神功皇后は、朝鮮半島征伐 の話を記しています。 これも朝鮮の資料 「広開土王碑の碑文」 に記されている 広開土王(374から412年)は、古代の朝鮮半島から中国東北地方にかけ栄えた高句麗19代の王で 王の功績を記した石碑 高さ6.3mの巨碑に碑文が四面に刻まれ41字詰44行の約1800字からなるもので碑文 には、「倭人は、新羅の国境に満ち 400年に、王は軍令を下し、歩騎5万を派遣し新羅を救った。」となっていますが その後も 倭軍が何度となく出兵し高句麗軍と戦っていることから決定的な勝利とまではいかなかったと思われます。 公開土王碑は、神功皇后が軍をひきい 海を渡り新羅に遠征したことを表していると 私は考えています。


神功皇后は、朝鮮半島の遠征を終え 宇美八幡宮での応神天皇出産 ショウケ超え 飯塚の大分八幡宮での大別れ(大分れ) さらに 飯塚 納祖八幡宮での いつかまた この地で会わん(飯塚=いつかの里)となったと 筋道としては 通っています。


今回のこの神功皇后の話では、香春鏡山神社・筑豊遠賀川付近での活躍・旧遠賀湾付近の物語を語る予定でしたが 個人的な考えが多く出すぎるかと 今回は記しませんでした、次に機会があればに語らして頂きたいと思います。       よろしく


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