筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

            遠賀川の地史時代と原始古代   (2)


 今回の題目、 何か硬い・取り付きにくい感じもしますが いざ挑戦


 私達の生活する 地球は、約46億年前に誕生 したと言われています しかし 日本人が何らかの集団・国家と文字を持ち生活し始め約2000年も経過していません 2000/46億年なんだか気の遠くなる それこそ天文学的な数字となってしまいます。 (人間の一生100年としても瞬き1回ほども満たない短い時間が人類の歴史しかないと云うだけでも 地球の歴史の壮大さを感じます。) 


私達が学校で 国語・算数・理科・社会等の知識を学びますが 地球は誕生し・生命誕生・両生類爬虫類の誕生・哺乳類の誕生・人類の誕生と経過し 人間の歴史とは異なる気の遠くなるような時間を要し地球は創られた と言われています。


地球が創られる過程においても 大陸移動(プレートテクトニクス)・火山活動・造山運動・風化と堆積活動 に入ります。 特に 遠賀川地域に広く分布した石 は、今から 6000万から2500万年前、新生代第三紀・第四紀 につくられました。 当時は湖・湿地の土地にメタセコイヤ・しだ類の大木が堆積し上からの土砂でうずもれ植物は圧力・地熱による 炭化が進み石炭 となりました。一部圧力等の炭化が正常になされていない鉱物を ボタ といい 筑豊炭田の最盛期には、石炭製品とならないボタ積みの山を ボタ山(住友忠隈のボタ山は有名で筑豊富士ともよばれる) といい 以前には筑豊炭鉱の歴史を象徴していましたが 現在は ほとんど見ることが出来なくなつています。


約200万年前に新生代第四紀にはいり洪積世と沖積世の時代 には気候が大変寒く乾燥した4回の氷河の時代と、暖かい時代が繰り返し 約2万年の最後のヴュルム氷河の時代 には、現在よりも気温が7から8度低くなり海の水面は現在より80から160m低 なりブナやナラなどの落葉広葉樹林がしげり・日本列島と中国大陸は陸続きであったといわれています。 さらに5000年前には逆に水面が今より3から5mも高い時期もあり (縄文の海進海退) このころを 縄文時代 といい、私達人類の活躍の時代に入ります 縄文時代前・中期に中国・シベリアの大陸よりナウマン象の渡った時代 さらに 5000年前に日本列島は島国 になったと言われています。


約7000年前 には、筑豊の各地にも 土器・石器・石組炉跡などの人間の生活の跡が 一部の地域には発見され 旧石器・縄文時代 へと入っていきます。


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                  忠隈炭鉱のボタ山(昭和10年ころ)

      
         
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                    諸藤先生の忠隈炭鉱ボタ山



           次回は 遠賀川 と 縄文・弥生の時代 へ