実を言うと俳優としての原田芳夫さんにそれほどの思い出があるわけではない。
主演している映画もどれくらい見ているか判らない。若いころの「龍馬暗殺」は見た記憶がある。でもどんな映画だったかは覚えていない。鈴木清順監督とのコラボは見ていない。多分一番見ているのはテレビでの原田さんだろう。しかし、それでもその存在感は抜群だった。
マイミクさんの日記に書きこんだコメントでは「あんなにレイバンのサングラスが似合う俳優は日本で他にはいない」と書いたけれど、そのあとで見直してみたら、原田さんがかけていたサングラスはどうもレイバンでは無いようだった。でもサングラスはとてもよく似合っていた。もし、原田さん以外でサングラスが似合う日本人といったら、あのころでは日野皓正さんだろうね。
そういう大したファンでもなかった僕が原田さんの存在を大きく感じるのは、彼がある時代の空気をだれよりも表現していたからであり、なおかつ先駆者だったからだろう。
おととい、NHKのFMの番組で原田芳夫さんの追悼コーナーがあり、彼の唄った歌が二曲かかっていた。題名も忘れたが、その歌こそ原田さんがある時代をしょってたっていた明石のように僕には聞こえた。
あの時代とはもちろん1960年代後半から70年代の半ばぐらいのこと。
学生運動の余韻が嫌でも残り、さまざまなカルチャーシーンに「アングラ」=アンダーグラウンドと呼ばれる、新しいカルチャーが進出していった時代のことである。
その空気の一端をかろうじて知っている僕にとっても、その「空気感」を表現するのはなかなかむつかしい。代表される人物とかを挙げていくと、たとえば浅川マキであり、天井桟敷と寺山修二であり、あるいは伝説のロックグループ=ジャックス(「はっぴいえんど」にも先駆けて「日本語のロック」を作り上げていたバンド)なのだけれど。
ダークであり、悲哀感に満ちていながら、湿っぽくは決してならない。といって、いわゆる「クール」というのとは違う、ザラッとした砂のような乾き感。粒子の荒い白黒写真のポートレートとか、無言の長回しの映像とかのもつラフさ。そんなようなものがその時代のカルチャーの空気感である。
今では松田優作の専売特許と思われている感のある、あのぶっきらぼうで、だからこそリアリティのあるしゃべり方、それを最初に映画やTVに持ち込んだのは原田さんだった。長髪、サングラス、革ジャン、ジーンズ、ブーツ。そういう当時の若者のファッションを画面に持ち込みながら、そこに共存している軟弱さとか、ユニセックスな部分とかをきれいさっぱり脱色して新しい時代の「ハードボイルドな男」を演じ切ったのである。
その影響は今にして思うと、本当に大きい。松田優作さんは言うに及ばず、寺尾聡さんが歌手としてデビューしたときのイメージ作りも、僕には原田芳夫さんのキャラクターが多分に意識されていると思う。あるいは俳優としてのショーケン=萩原健一の初期のころもそうである。
正直いって演技の上手い人だった記憶はない。歌もハッキリいってヘタクソだ。(この点では寺尾聡さんの方がダントツに上手い)ただ、彼にしか出せないキャラクター、それまでにいなかった男性スターとしての存在感が強烈だったのである。
こういう人はもうしばらくは出てこないだろう。なぜなら時代が要求してはいないから。
あの時代、「ほんとうのこと」を語り伝えるためには、本当のこととは決してハッピーなばかりではなく、暗く、みじめで、やるせなく、残酷であることを強調することが必要だった。なまじのことでは受け取れないような「重さ」にこそ「ほんとう」があると思われていた。
でも今はみんなそのことを知りすぎるほどしっている。だから、いまさらそんなものを見たり聞いたりしたくない。暗いことみじめなことやるせない思い残酷な仕打ち重い告白……そんなもののすべてにベールをかぶせ、「空気を読んで」軽く軽く、明るくハッピーにふるまうことが「今を生きること」なのである。
そんな時代に原田さんのような「ハードボイルド」は似合わない。多分彼を愛している僕のような人間も時代ににあってはいないのだろう。別にそれは構わないが。
あの時代の空気感を今も持っている役者さんというと、僕が一番に挙げられるのは水谷豊さんである。大ヒットしているシリーズ『相棒』の杉下右京、あのキャラクターは「反骨の時代」であったあのころの空気を内に秘めてこそできる。
つまり、日頃はピエロのように道化をしながら、自分の出番を待つということかな。
いやな渡世だぜい。