不安な要素はいっぱいあるけれど、とりあえず埼玉の我が家周辺は拍子抜けするほど穏やかな週末の様子。
とはいえ昨日は凄まじかった。いろいろと。
地震が起きた瞬間の2時46分ごろ(僕の記憶ではあと5分くらい遅かったように思えたんだが)、ちょうど百円ショップ「DAISO」の店の前を歩いていた。するとみせの中から突然お客さんが飛び出してきたのだ。「え、なに、火事か?」と思った次の瞬間、いきなりグラグラっと鋭く激しい横揺れが来た。これまで経験したことのない横揺れに思わず道路の真ん中で姿勢を低くすると、次はものすごく大きな横揺れが。まるで大型船に乗ってしけに揺られているような揺れが続いた。
気がつくと歩いていた近所は停電。住民がてんでに外に出てきて、とりあえずの無事を確認し合っていた。
さて、それから。
あれこれとやらねばならないことを終え、家に戻ったのが6時半。そのころには携帯がまったく使用不能になっていた。情報のたよりは運転していた車のカーラジオのみ。
家に帰るとお義母さんが心配そうに待っていたが、お義母さんの携帯はつながったようで、妻からの「帰れない」コール。「池袋メトロポリタンホテルで待機しているので迎えに来てくれないか」というメールが。
すぐ食料と飲み物、それに自分のとお義母さんの携帯をもって車に(自家用)乗り、池袋に向かう。
主要幹線道路は混雑しているだろうと思い、富士見川越道路を避け、一本荒川よりの道を志木方面に向かい、秋ヶ瀬橋から新大宮バイパスに入る。そこまでに約一時間。新大宮バイパスは比較的流れていたが、都県境の笹目橋で川越街道方面が渋滞。高島通り方面に進路を替え、高島通り⇒17号と行って環7で右折。17号にはいったあたりから、両側の歩道に歩く人が増え始め、環7との交差点あたりでは相当の人だかり。
環7はノロノロ状態で、やはり川越街道方面の渋滞がひどい、環7を直進することにし、池袋駅西口に直進する道までいって左折、この道はほとんど渋滞がなく、午後9時前に東京芸術劇場裏に到着し、妻をメトロポリタンホテルまで迎えに行く。
ホテルの中は「被災地」の様相だった。ロビーに人が溢れている。毛布をかけて横になっている人もいる。比較的早くここにいた妻はレストランの中で同僚の人1名と、たまたまそこで同席したという60~70代の女性と80歳になるという女性と4人で一緒にいた。このホテルでは宴会をすべて中止し、レストランと宴会場、ロビーを開放して「帰宅難民」の人たちを受け入れ、コーヒーなどの飲み物を提供し、毛布等も提供しているのだという。妻以下四人の女性たちは妻の携帯が唯一繋がったので、それぞれ家族に連絡がとれ、迎えに来てくれるのを待っていた。
お礼を言い、自分がカーラジオで得た情報を伝え、「気をつけてください」と言い添えて妻と同僚の女性を乗せて帰途に。
途中、大谷口で同僚の女性を降ろし、川越街道を下っていく。さすがに渋滞は激しいが、動かないわけではない。道路の両側では帰宅する人たちが黙々と歩いている。車は多いが、お互い事情を理解しているからだろう、いつもの都内よりも遥かに安全に運転している。練馬自衛隊基地の手前で妻がWCのためコンビニに行くというのでそのまま路肩に寄せて駐車した。普段なら、そうとう白い目で見られ、クラクションを鳴らされるところだが、(しかも僕以外にあと2台が駐車していた)誰もそんなことはせず、整然と追い越していく。コンビニもトイレは凄く混んでいるようだし、歩いて帰宅する人たちが休憩していたり、食料を買い求めていたりしてごったがえしているのだが、不思議なほどみんな冷静である。
その後新大宮バイパス方面への道に入ると、下りの車はだんだん減っていき、埼玉県に入ると一部を除いて通常通りの流れに。同時に目立ってきたのが上り車線の渋滞。推測するに、高速道路の閉鎖などで戻れなくなっていた車や、都内で帰れなくなっている家族を迎えにいくための車がこの時間になって増えてきたということだろう。とはいえ、この時点で11時を回っている。
羽根倉橋を渡るときにかなり大きな揺れが来てヒヤっとさせられたが、その後は順調で家に帰りついたのは0時半。
今朝になって、兄、両親とも無事を確認しひと段落。余震その他でこれ以上の被害が出ないことを今は祈るのみ。