日記を書こうという気が少しは生まれた。
正直に告白するけれども、おとといぐらいまでは「カタストロフィー」妄想みたいなものに取り憑かれてしまい、精神状態がじぶんでも普通ではないことがあった。
最大の原因は今も続く原発事故の行方、そして毎日のように続く「余震」である。とくに夜中に静岡を震源とするかなり強い地震が起こった時には、そうとうナーバスになり、ほとんど眠れぬままに朝を迎えた。
よく眠れないのはその日ばかりではない。首都圏では計画停電の影響で朝の通勤電車もろくに動かず、月・火と妻を車で送り迎えをするためにそもそも朝5時には起きないといけない。それ以後電車は徐々にうごいてはいるものの、どうなっているのかがその日になってみないとわからないので、送迎係の僕としてはずっと妻の通勤を駅で見届けるのが日課になっている。
夕方になれば、妻からの携帯メールを待ち、それに合せて迎えに行く準備をする。電車がどうなっているのかもよくわからないがメールがちゃんと届くのかも心配である。震災当日と次の日は携帯回線もほとんどパンク状態だったが、月曜日あたりでも誰もが連絡したいと思っている朝と夕方に決まってよく機能しなくなるのだ。
昼は昼で「計画停電」への対応に追われる。乾電池とかローソクとかがもう店頭から姿を消しているので、夜しか使えない。停電しないときにできることをやってしまおうとするのである。
そうやってあせあせと生活しているなか、TVは震災関係ニュース以外は何もやっておらず、「原発」で次から次へと出てくる危機的事態の連続が神経を追い詰める。それでも情報が取れないと不安になるのでTVを見ざるを得ない。
先が見えないというより、先にはより悲惨な事態しかまっていないのではないか。今のこの生活自体が次の瞬間にはあっというまに壊れてしまうのではないか、そういう不安が消そうとしてもどうしても膨れ上がってくるのである。僕がこの間自分で経験した己自身の不安定さの根拠はここにあった。
だけれども、今はそれを「あった」と過去形で語ることができるようになった。もう僕は逃げない。逃げないでやるべきことをやる。
なにがきっかけになったのかは簡単に語ることはできない。ただ言えるのは、僕はちゃんと生きている。ちゃんと生活している。ちゃんと働いている。僕の目に見える周りもそうだ、原発では危機が続いている。しかし、今僕らがそれによって直ちにいのちを脅かされるわけではない。生きて、働き、生活している人間がいる限り、未来は繋がっているし、希望はある。僕らはもう逃げられない闘いの中にいる。震災に立ち向かい未来を切り開くこの試練から、だれも当事者であることを下りられないのである。
昨日、僕の住むふじみ野市にも福島県から避難してきた人が市の公共施設に到着したという。原発から30キロ圏、いわゆる「屋内退避圏内」の人だ。おそらくこの三連休中にそういう人たちは増えるだろう。僕らはまず彼らを受け入れ必要な支援をしなければならない。なにが出来るかわからないが、彼らのためにも、僕らはこの社会のシステムを「自覚的に」守っていかなければならない。その気持ちが途切れない限り、僕らの社会は立ち直るだろうし、そうしなければならないと思っている。
いろんな事情があり、そして条件が整っているので首都圏からいったん離れた人が僕のまわりにもいる。中には僕がそう勧めた人もいる。より安全なところにいる知り合いが多ければぼくら自身もいざというときに頼れるから。
それをふまえつつ、僕は今、ここで出来ることをやっていこうと思う。