子供たちの笑顔に | 多弦Gutarist Tominha の部屋

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10弦・11弦という普通派では見ることがない多弦なギターを弾くギタリストTomonari.Cのブログ。音楽はもちろん、映画やら小説やら政治やら、思いつくままに書き連ねています。

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今回の主たる目的地タンガッラにむかったのは、6月の10日、前日深夜には伏見氏がコロンボに到着。物資とお金がそろったところで、まだ世も明け切らぬ午前5時過ぎに私たちは布袋るを出発した。
タンガッラへはコロンボの教会の神父をしているクーリー氏がメンディスさん、ジータさんとともに同行した。クーリー神父は今年85歳というが、長身で背筋もしゃんとしており、とてもそんな高齢には見えない。優しそうな笑顔とよく通る声の持ち主でいかにも「神父さま」というイメージの人である。メンディスさんを子供のころからよく知っているという。
途中朝食をとりながら、車に揺られること5時間半、ついに目的の学校についた。車が学校に入るや、事前に知らされていたのであろう、子供たちが車に殺到してくる。私たち一人一人が何十人もの子供に囲まれ、「名前を教えて!」「どこからきたの?日本?」みたいなことを次々に話しかけられる。カメラを向けるとこれまた大騒ぎだ。
そのうち、当初聞いていたこととは様子が違うことに気が付いた。まず、子供の数が多すぎる。用意した学用品と絵手紙は300セットだが、子供の数はそんなものではない。学校の先生に聞いたら、なんと生徒は全部で900人(!)いるという。しかも、この学校自体は津波によって破壊されたわけではないようだ。どういうことになっているのか、説明してもらう必要がありそうだが、ともかく、この場にいては子供たちの声で話もできない。近くに津波で破壊された学校があるので、そこに移動しゆっくり説明をしてもらうことにした。
着いたのはクドゥワッラという名前の、日本でいえば小学校と中学校が一緒になったような学校である。その校舎はガラスがほとんどなくなり、グラウンドの隅には津波のなごりであろうがれきが山のように積み上げられていた。地元で救済活動にあたっているアシュレイ神父によると、このクドゥワッラ小・中学校が津波でやられたため、先ほどいったガーミニ小学校に生徒が移転したのだそうである。そのため、学校には全部で900名がいる。もともとは仏教とのための学校だが、宗派を越えて仲良くやっているので、学用品もみんなに平等にあげたいという。
事情が飲み込めたので、再び学校へ。講堂のようなところに入り、セレモニーが始まった。校長先生のあいさつのあと、子供たちがスリランカの伝統的な唄や踊りを披露してくれる。さて、いよいよ900人の子供たちにプレゼントである。学用品は一人分ずつパックされているから、それを開け中身を分けて手渡す。それだけのことなのだが、何しろ数が多い。学校の先生、シスターに神父さん、わたしたち、それに車のドライバーのみんなで手分けして作業をすすめる。たちまち汗だくになるが、子供たちは先生に引率されて、クラスごとに外で待っているのだから、休んではいられない。新潟中越地震のボランティアにも参加した仲間は「食糧の配給と同じ忙しさだな」とつぶやく。
こどもたちは本当に可愛らしくて元気だ。スリランカでは学校に通う子供たちは必ず制服を着ている。男の子は真っ白なシャツとズボン、女の子は同じく真っ白なスカートであるが、みんなきれいに洗濯されていて、本当に「真っ白」なのである。その制服を着て、母親に手を引かれて投稿する姿をコロンボのような都会でも、内陸部の田舎でもよく見かけた。
一方で学校にいっていない子供たちの姿も見かけた。その子たちも小学校の中で一緒に遊んでいるのだが、どうして学校にいっていないのかを尋ねたが、あまりはっきりした答えは返ってこなかった。ただ、都会でも田舎でも「ストリートチルドレン」のような子供たちの姿は見かけなかった。観光地の近くで家族と一緒に屋台の店番をしているところはみかけたが。スリランカでは国立の学校(と病院)は無料だそうで、みんなこどもをとても大事に育てている。それはスリランカの人たちの心の豊かさを象徴しているように思えた。
数時間かかってやっと配り終えることができた。校庭に出るとまだ、たくさんの子供たちが残っている。わたしたちには実はやり残していたことがあった。それは日本の歌を唄うことである。そのために練習もしたし、楽器も持ってきたのである。Sさんが「今からここでやりましょうか」と言う。メンディスさんのそのことをみんなにつたえるように言うと、たちまち子供たちが寄ってきた。
世界的に有名な別名「スキヤキソング」の「上を向いて歩こう」ほか、何曲かを唄うと今度は子供たちがこの学校の校歌と、スリランカの国歌を歌ってくれた。大いに盛り上がったところで地元のアシュレイ神父がスピーチ、学用品の他に日本の子供たちから絵をもらってます。みなさんも絵を核のは好きでしょう。返事をみんなでかきましょう。と呼びかける。
これで、子供たちともお別れだ。車に乗ろうとして気が付いた。ホコリで真っ白になったボディーやガラスに子供たちが指で書いた落書きでいっぱいなのだ。ほとんどが自分の名前のようである。サインでいっぱいになった車に乗り、私たちはガーミニ小学校を後にした。