我が家の三人兄妹ニコ真顔キラキラ

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・たっくん(特別支援学校、小4)

・妹(小2)


家事そっちのけで育児に奮闘中です


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「ぶっちゃけ、就学後の療育ってどうされていますか?」


 たっくんは2歳10ヶ月に自閉症と診断されました。



1歳を過ぎてから発達の遅れを感じていたものの、1歳半検診では“問題ない”と言われ、


安堵したり、焦りや不安な気持ちになったり


発達相談を受けるのも半年待ちで、

なかなか療育にも繋がりませんでした。




診断を受けるまでは……

ずーーーーーっとモヤモヤしていましたもやもや


診断を受けた後は、

もう白か黒かで悩まなくて良くなったけど…


私の目の前は、真っ暗になりました。



とてもじゃないですが、自閉症を受け容れられなかったです。


たっくんに手を焼く大変な毎日であっても

誤診であって欲しいと願い続けたくらいです。



 

障害児という表記


私はイチイチ躓いた。

自閉症と診断を受ける前から療育を受けていましたが、
療育を受けるための受給者証申請用紙に

【障害児】と書かれていた。


障害児、障害児、障害児、障害児……


…え?障害児?うちの子は障害児?


療育を受ける人ってみんな障害があるの?


この先、療育を受けていたら、

本当に良い方向へ行くのだろうか。



正直、不安しかなかったです。


前向きになれるはずがなかった。



なぜなら、


私には、全く知識がなかったから。



ASD…?

当時は、そんなことも知らなかった。


新版K式発達検査、遠城寺式…?

ペクス?、ABA?、TEACCH?

ST?、OT?


視覚優位?感覚過敏?感覚鈍麻?感覚統合?


全然分からない…。


全然分からないし、とにかく毎日が大変で

目の前の問題(たっくんの対応)で

いっぱい、いっぱいだった。



私は、“療育を頑張るぞ!!!”

なんて、とても思えず…


診断後は、ずーーーーっと運命を呪った。

考えることは…


なんで、こうなったんだろう?

妊娠時は、色々気を付けていたのに…


なんでうちの子に…なんで?なんで?


毎日、毎日涙が出た。

日中は泣いている暇がないので、寝かし付けを終えた真っ暗な寝室で泣いた。


精神的に参っていた私にトドメを刺すかのように、ストレス性の蕁麻疹が毎日広範囲で出た。



もう嫌だ…


投げ出したい。


やり直したい。




毎日、そんな事を考えていた。



療育開始


保健師さんを通じて教えてもらった療育先に通うことになった。

私は、【療育=勉強】みたいなイメージがあったのでビックリした。

療育の内容は、一切机に向かう事はなく
親子で踊ったり、運動したりだった。

それを週1回、1時間で通うことに。

当時たっくんは、2歳。
超絶不安感が強く、危険なんて分からず多動が激しい。

妹はまだ0歳数カ月。
たっくんが療育に通う間、預ける先がないので一緒に療育先に連れて行っていた。

たっくんは、療育のある教室に泣いて入れない。座り込んだり、逃げようとする。

妹をおんぶや抱っこをしながら、たっくんを教室に連れて行くだけで毎回疲れた。。。

療育が始まっても、たっくんは泣いて何もしない。脱走しようとするだけ。


こんなの意味あるんだろうか……


全く希望の光が見えないまま、療育開始。


つづく