#539 【atom-50】:俳句事始め(3) 2024.5.3 | コトバあれこれ

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子ども作文教室、子ども国語教育学会の関係者による
投稿記事ブログです。

 

 今回のブログも俳句事始め(3)として、俳句にまつわる話に触れるとともに

 自作の句を幾つかアップして、ご批評を賜りたいと思います。

 

 3月前半の寒さで開花が一週間遅れた桜。あえなく散ってしまい、そのあと

バトンを渡されたツツジも最盛期が過ぎ、季節はもう5月。俳句の季語でいう

「立夏」となりました。

 

   枝垂れ櫻  満開のツツジ

     (団地内の枝垂れ桜)       (路傍のツツジ)

 

  その後、4月末から連日25℃以上の夏日が登場するなど、この異常気象下

 では梅雨の期間も読めない状況になりつつあります。四つの季節がはっきりと、

 かつ、極端に進行するために、俳句の季語分類にある季節を三分する【初-、

 仲-、晩-】の境界が曖昧になってきました。その結果、季節が移ろう際の

 余韻を十分に楽しむ間がなくなってきたのではないかと寂しくなります。

   

  ともあれ、昨年11月に句作を開始してからは、すべてのものを真面目に眺

 める習慣がつき、大げさな言い方かもしれませんが、自然物に対する敬愛の念

 も芽生えてきたと感じます。また、日本語の持つ微妙な意趣や音韻に対しても

 感覚が磨かれているように思います。

  とにかく、毎日3句から5句を推敲して2,3句に絞り、当初決めたように

 50句/月を一年続けると600句。この目標を目指して、日々奮闘しています。

 

 

  さて、俳句の重要な要素のなかに、季語、切れ字、省略化などがありますが、

 今回は、この中で最も身近な「季語」について触れてみます。

  伝統的な俳句では、季語なくしては俳句にあらず、しかも、原則として、

 使用する季語は一つとなっています。二つ以上入っているものは「季重なり」

 と言われ、よほどのことでない限り、俳句として評価されません。

  尤も、有名な句に「目には青葉山時鳥(ほととぎす)初鰹」と言うのがあり

 ますが、夏の季語が三つも入っています。これなんぞは、名詞の持つ残像を

 三つ並べて強い余韻を残すという例外的な名句になっています。

 

  自作の句から例を挙げて、修正してみますと、

 #522【atom-48】(昨年12月)の(A)4.に挙げた句;

   「マフラーを締め直す我枯葉舞う」

 はマフラーと枯葉が冬の二重季語なので、修正すれば、

   「襟立てて電車見送る初冬かな」または、「冬の夕通過列車に襟を立て」

 とでもすれば、冬の句になると思います。

  もう一つ指摘されそうなのが、上の句にある「締め直す我」の「我」は、

 不必要とされています。よほどの感動的な自分の動作以外には、主語の「我」

 はあたり前ゆえに省略すべし、無くても主語が分かる句を詠むこと、等々、

 ルールを挙げればきりがありません。

 

  何も気にせず自由に俳句を詠めればどんなに楽かと思いますが、やはり、

 伝統的な手法の俳句をやってこそ、初めて日本文化に触れることが出来ると

 信じます。そうでなければ、三行で書く英語俳句のように味わいのないものに

 なってしまうでしょう。

 

  最後に、春季、3月から4月に詠んだ俳句の中から10句ほどアップします。

 

  ① 中州にて戸惑う鳥や春出水

      (---   地元の早淵川の水が急に増して)

  ② 用水路音立て走る春の水

      (---   地元の田んぼにて春の雪が溶け)

  ③ 式終えて軒にたたずむ春驟雨

      (---   高校の卒業式のあと驟雨に)

  ④ 落ち椿ゆらり浮かびて川下り

      (---   早淵川の支流にて落ちた椿の花が)

  ⑤ 散る花弁中に飛び込むを追い

      (---   水沢公園の桜の大木の下、一羽の蝶がひらひらと)

  ⑥ この空を独り占めする花の雲

      (---   川崎、菅尾緑地公園 空を埋めるほどの満開)  

  ⑦ 縁側で味わうお茶や春惜しむ

             (---   友人宅にて一休み  晩春  )

  ⑧ 春光の瞼に透けて目覚めおり

      (---   4月初頭、朝の光で早い目覚めが)

  ⑨ が往く何を想ふや漱石像

      (---  4/14 漱石山房記念館の胸像の前で)

  ➉ 生きて昭和消えたる荒川線

      (---   4/14文学散策の途中で乗った荒川線の沿線が)

 

     菅尾緑地の桜 漱石山房記念館

      (菅尾緑園公園の桜)      (漱石山房記念館)

     

     

          (2024年5月5日 atom 石川 記)