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オランダ坂を登ったとき、あるおじさんが話をかけてきてくれて、グラバー園まで観光案内をしてくれました。長崎には「のんべ」と「すけべ」が多いというおじさんは、面白い話とともに色んな裏道を教えてくれて、孔子廟は入ると高いからここから見なさいと教えてくれたり、ここはJR九州のポスターの写真に使われた場所だから写真を撮りなさいとか、軽妙な長崎弁で色々と案内をしてくれました。特におじさんの話の中で感心したのは、道路脇の排水溝がコの字型ではなくV字型だった事です。V字にする事で勢いよく水が流れゴミがたまらず、コレラなどに対応できるとオランダの医者たちの教えで作られたそうです。
おじさんとグラバースカイロードを上がり長崎市内を見下ろしながら、少しだけ原爆体験についてお話を聞く機会がありました。学徒動員で偶然中心部から少し離れた所にいたおじさんは、それでも爆風に吹き飛ばされたと言われました。友達は飛んで来たガラスの破片で大怪我をしたそうです。被爆した子供が傷口から湧いてくる蛆を取ってくれと泣きながら頼み、ピンセットも何もないので割り箸でとってあげてる間に逝ってしまったと、そこまで話しておじさんは「さぁ行こう」と話題を変えて、グラバー園のほうに案内してくれました。それ以上話を続けるのが辛い体験だったのだと思います。
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大きな衝撃を受けたと同時に違和感は、それは受けた衝撃を少しでもそらす為に自分の注意が行ったのかもしれませんが、加害に関する展示です。申し訳ない程度の日本の侵略戦争、全体主義へと進む道への展示と、被爆者の中には朝鮮人を初めとした外国人もいたとの記述もありましたが、全体の中で温度差を感じました。(朝鮮人慰霊碑が出来たのは1979年)
帰って来て知った事ですが、どうやら加害の歴史を巡ってはそのような展示スペースを一度は作ったみたいですが、資料の「客観性」などを巡ってちょっと複雑な論争があり、大事な議論が十分になされなかった事も中途半端さと関係しているみたいです(関連記事)。なお岡まさはる記念長崎平和資料館は、とても精神的な体力が及ばず行けませんでした。しかしこれも自分が見落としただけかもしれませんが、原爆資料館に天皇が全くいなかった気がします。これは天皇の戦争責任が問われていないせいでもあると思いますが、天皇不在の原爆資料館だった気がします。
その後平和公園に行き、平和祈念像を見ました。残念だったのは平和祈念像の前で像の真似をしながら記念写真を撮ってはしゃいでいる観光客が結構いた事です。ある程度観光地化されてしまっている事の弊害でもあるのでしょうか。また韓国からの「観光客」も多かったのですが、原爆資料館の中の展示の感想ノートに、「안녕하세요. 독도는 한국땅입니다/訳:こんにちわ。独島(竹島)は韓国の土地です」と書かれていたのには、とても残念で、恥ずかしく思いました。いくら独島が韓国にとって日本の植民地主義の「象徴」だとしても、そのように書くべき場所なのでしょうか。
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福岡に帰って来て、東京から戻った祥明大学の子たちのお別れ会に参加しました(関連日記1、関連日記2)。彼/かのじょたちの元気な姿に、少し回復するパワーを貰った気がします。一部右寄りなブログに、彼/かのじょたちを迎撃する為のデモの呼びかけがあったので少し心配でしたが、怪我や大きな衝突もなかったようで良かったです。本当に「普通の」学生たちで、デモが終わってからは自分たちだけでコンビニに行くのを怖がったり、一方で渋谷や原宿、大阪では難波で買い物を楽しみ、秋葉原ではまんだらけに行って来た子たちでした。彼/かのじょたちが日本で感じた事などをまた話せて、とても楽しく勉強になりました。
もちろん長崎に旅行に行って原爆資料館に行かない事も出来るし、日本に来てわざわざ靖国神社に行かずにショッピングして帰る事もできます。そんな重たいテーマと向き合わずに楽しく「旅行」する事も出来るでしょう。けれども表現が正しいかわかりませんが、目を背けない、見つめ続ける、背けてもまた目を向ける、そういう事が大事なんだと思います。