グレイの雲はまだ低く空を覆っていたが、桜を散らせた雨はもう殆ど止んだらしい。湿った空気が停滞していて、独特の臭気を放っていた。薄闇に沈む一番街アーケード入り口を雑多な人々が行き交う。傘を差したままママチャリを漕ぐサラリーマン、作業着姿で前歯が抜けた労働者、早く帰宅して猫と戯れたいOL、最近政治に目覚めた大学生、小さな紙袋を何個も両手にぶら下げた巻き髪ギャル、粗末な身なりの白髪作詞家、年増女性のグループ、眉毛が太い女子高生、サングラスをかけ山本晋也(或いは本当に山本晋也だったかも知れない)そっくりな人、或る者は足早に、また或る者は緩慢な足取りで、みなバラバラに、ただ俺の前を通り過ぎて行くだけだった。誰も俺の事を知らなかった。山本晋也が本物なら話は別だが(俺はテレビで彼を観たことがある、俺は一方的にだが彼を知っている)俺も誰の事も知らなかった。濡れたブロック敷きの路面が黒く染まっていて、両側に並んだ店の電光看板の灯りがぼんやり水溜りを浮かび上がらせていた。
…えっ?と聞き直してから俺は耳からイヤホンを抜いた。券売機の前に立った俺に、間髪を容れず近寄ってきた好青年風な店員氏は、はきはきした口調で何かをまくし立てた。よく分からなかったが、勢いに押されて、はい、と答えた。
「あっ、そっすか。新規っすか。なら今、新規のお客さんサービスで替え玉かジェラート、選べますけど、どっちにします?」
久留米市東町39-2馬場ビル1F「麺志」さんで、俺は「らーめん 道」550円、それにサービスで「替え玉」を頂いた。徹底的に明るく元気に溢れた接客だった。
「らーめん 道」は、スープは豚骨100%、麺は福岡国産ラー麦100%、のり、ねぎ、チャーシューとシンプルに仕上げたあっさりで優しい一杯、らしい。
溌溂とした掛け声とともに調理され、それから提供されたラーメンは確かにシンプルな見た目だった。
麺は中細ストレートで久留米っぽい感じに思えた。つるつると啜れる。歯応えもいい。豚骨スープは微かにだけど、甘味が含まれている。コクもそこそこある。うん、十分飲み干せる味だ。勿論、替え玉用に残しておくけれども。無料は素晴らしい。
替え玉を投入して一気に食べる。紅ショウガと胡椒を心置きなく使用する。これで味の評論家気取りは終わりだ。ただ腹を満たす事に集中する。最後まで飲み干した。西鉄久留米駅すぐそばにあるし、結構うまいし、これは久留米ラーメンで間違いないだろう。
腹が膨れた俺は、一番街アーケードを睥睨しつつ歩く。すると、何故かアーケードをUターンしてきたらしい山本晋也とばっちり目が合ってしまう。やはり、二度目も似ていた。