支えてもらってるんだな‥と | HOPE❤︎

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最近、そう感じることが続いてます。
毎回私を泣かす人。

母の事でお世話になってるケアマネのTさん。

ホントにホントに素晴らしい人です。

母の事はアメ限でしか書いたことはなかったです。

リア友さんも読んでくれてるし、何だか
グチグチ言ってもね〜なんて
思ってたから。

でも、今日は書いちゃうぞ(笑)おーっ!
ダメな私はダメなんだし。
ここからは長いしグチグチです。
ダウン

私の母は、認知症です。
ハッキリ診断されたのは68歳の時でした。
まだまだ、そんな診断を受けるのは早すぎる年齢です。その時、悲しくて帰宅して一人泣きました。
その数年前からなんとなく症状は現れてきてました。

だから、孫を抱いたら少しでも変わるかも!と思いましたが、自らめちゃくちゃに可愛がるみたいなことは一切なく、出産時も何を聞いても
『忘れた、知らない』で、悲しすぎました。
母に何も頼れないので、何でも手探りで出産でした。

現在、75歳。
ずっと毎日おかずを作り実家まで運んだり身の回りの世話などをしていましたが、
2年前からいよいよトイレの失敗など
父親だけでは手に負えなくなり
(と言っても夫婦仲が昔からあまり良くないので、この父親がほとんど母の世話をしない為)
私も幼い娘の世話と自分身体の不調など
通うのに疲れ汗同居を始めました。

そして今年の始めから、ケアマネのTさんにいろいろ助けてもらっています。

昨年までは介護認定は受けたものの、まだ具体的なサービスなど
何も利用せずただただバタバタと毎日を過ごしていました。
そんな中、昨年秋母がもう何度めか‥な足の骨折。
病院の先生に
『介護認定は受けてる?あなたも大変やろ?誰かケアマネはついてるの?あ、あれ呼んでやってあれ!』で
登場したのがTさんでした。
ニコニコしてて、第一印象から優しいお姉さんという感じで、たくさん話を聞いてくれて。

『もう、一人で頑張らないで下さい!夜中でもなんでもいつでも電話してきて下さいね!とんで行きますから!』と。

そう言われた途端涙が溢れて。
あぁ、これからはどうしようもなくなったら
この人が居てくれるんだ!と言う安心感と
優しい言葉になにか張り詰めていたものが緩んで、ポロポロ泣いてしまいました。

そこから、週2回母のリハビリ通いスタート。
それが今年の2月から。
本当は、デイサービスとかにも行った方がいいと勧められたけど、母が断固拒否。ムキー
『私はまだ、そんな年寄りじゃない!ボケてない!ムキー』と。

自分はしっかりしている!と自負している為、デイサービスには行ってくれませんでした。
とりあえずたまにあるトイレの失敗と、性格がキツくなった母との喧嘩ぐらいで、なんとかここまで‥。

だったんですが、

9月の半ばに今度は父親に異変。
おかしいと思い、かかりつけの病院に連れて行くと
『脳梗塞を起こしてるから、すぐに大きな病院に行って!』と言われて、即入院。
今度は父親かよ‥。
途方にくれる。

大学病院に入院してすぐは、ボーッとしてトイレも失敗したりして『どうなるんだろ‥』とこの先が心配でしたが、幸いかなり早くに発見して連れて行くことができたので、運動機能を失うことが無かったのが本当に本当に幸いで。
ただ‥
高次脳機能障害は残り、極端に喋らなくなりました。
後、リモコンの使い方が分からなくなったり、物事の判断が自分で決断できないことがあったり。

9月の終わりには、リハビリに特化した病院に転院。
現在も入院中です。
毎日の病院通いをする中、また試練。

母親の膝が腫れ上がり、10月30日の夕方にいきなり立てなくなる。
痛すぎて、ハイハイもできない。
仕方ないので後ろから抱えて引きずってトイレに連れて行ったり部屋移動。
もう、とんでもなく重すぎて
無理無理無理‥。
しかも、不妊治療で凍結していた卵子を移植して結果待ち状態なのにガーン大丈夫かな?って不安に。

翌日、とても一人では無理で
母親の弟の叔父さんに助けを求めて、一緒に
整形外科へ。
何でか細菌が侵入して、腫れたと言う診断。

とりあえず、ケアマネさんに電話。
そしたら、飛んで来てくれた。
そして、
テキパキ間に入って動いてくれて、
『もうね、入院して預かってもらいましょ!婦人科の受診も控えてるのに無理よ無理!お母さんには少し我慢してもらいましょう。』と入院させることに。
ここから、両親のダブル病院通いスタートとなりました。

母親の膝処置の待ち時間にケアマネさんが
『もうね、本当に頑張らないで!周りに助けてもらって、休まなきゃ。こんな鬼みたいな言い方かもだけど、お母さんの先の生活はもう見えていて、そこへ向かうのに、どういう道がみんなが幸せか一緒に考えますから!でもね、あなたはまだまだ未来がある。これから増えるであろう家族のこと、自分のことを先ず優先しませんか?私がしっかりサポートしますから!』と。

整形外科の待合室で、人目もはばからず
号泣してしまいました。
言葉が嬉しすぎて、胸に刺さって‥。

もう、自分でもどうしたらいいか分からなくて
本当に辛かった。
だから、こうやって寄り添ってもらえることが
心強くて有難すぎて。

翌日、娘がまさかの突然の嘔吐。
自分の妊娠判定日。
朝からてんてこ舞い。
母親を預かってもらって本当に助かった‥
もし、預かってもらってなかったら
どうなっただろ?
恐ろしかった。
本当に助かりました。

結局、妊娠は無理でした。
これから父母の事、自分の体調、不妊治療と
全部いっぺんにできるか不安しかないけど、

ケアマネさんと叔父さんのおかげで
やれるとこまで頑張る!という気持ちが湧いて来ました。(もちろん旦那と娘、遠方の姉もできる範囲で助けてくれてます!)
最近泣いてばかりでしたけど、
こうやって支えてもらえて、感謝です。


30代は、胃がんの前にも大きな試練があって
ドン底に落ち、這い上がったら胃がんになり‥

40代は穏やかに‥
そうはいかず(笑)
とりあえず目の前の事を頑張って行こう。



苦しかった時によく聴いた曲。
頑張らなきゃと思える曲。