「東京パンデミック」に滅びゆく日本/東京五輪騒動と日本解体の脅威 /都議選に立候補して3%得票 | 高澤 一成 「真の哲学者とは」

高澤 一成 「真の哲学者とは」

■哲学・社会学・社会思想に基づく「社会衰退の克服論」
■成人道徳教育(啓蒙)の必要性と、道徳と自由の両立

 

■7月30日 追記  完全自滅の「東京パンデミック」に滅びゆく日本



 私、高澤一成は、都議選直前に行われた、あきる野市青年会主催の立候補予定者の公開討論会の後に、マスコミ各社から一斉に立候補の動機を聞かれたとき、「父がコロナで亡くなったこと」と、「五輪中止のため」と答えた。

 そして、父の死や五輪が開催されたことについて、後にNHKから電話取材を受けている。

 そして東京の1日の感染者数が、28日に3177人、29日に3865人と、過去最多を更新した。

 オリンピックの日程の進行、消化とともに、都内の感染爆発が進んでいる。

 世界中から外国人を受け入れて、選手、関係者からも感染者が出ているのだから、無理もない。
 さらには濃厚接触者や、PCR検査の間の、無症状の感染の進行もあるから、五輪を中止する以外の選択肢はなかったはずだ。

 そしてコロナは暑さに弱く、昨年は今の時期にほぼ完全に収束したから、この酷暑の中での感染爆発は、空気が乾燥する秋から冬にかけては、昨年のアメリカやイタリア、ブラジル並の感染拡大は覚悟しておいた方がいい。

 オリンピックを契機とした、この深刻な激増なら、NHKがまた私の所に取材に来られることは十分予想できる。

 ワクチン接種によって高齢者の感染者が減っているのはいいことだが、私と同じ40~50代の現役世代の感染が増えていることは、深刻な事態と捉えるべきだ。

 だが、西多摩の有権者は、五輪反対の立憲が、野党共闘で2万票も票を減らし、私の得票率も3%にとどまり、大多数の人が五輪開催の自民と都民ファーストに投票してしまった。そして全体の投票者数が前回から西多摩だけで2万5千人も減ってしまった。

 確かに他の選挙区には選択肢がないかもしれないが、西多摩には私という選択肢があったはずだ。

 だが知名度が全く足りなかった。

 日本人はこのまま、IOC貴族の利権だけのために心中するつもりなのだろうか? 

 そして、「国民の生命を守る」という最低の政治の役割が果たされないことになぜ目を塞ぎ、耳も塞いで、投票してしまうのか? 

 そんなにも貧困化する一般国民には経団連、連合、創価学会が重要なのか? 
 なぜだまされ続けて喜んでしまうのだろうか?

 新自由主義と人権主義によって、経済的にも、社会秩序も完全に解体され、破壊され尽くした日本が、いかがわしい偏向と言論統制だけのテレビだけを盲信して朽ち果ててしまうのだろうか? 

 五輪とは、過ぎ去ってしまえば誰も気にも留めない、2週間ちょっとの、刹那(せつな)の、IOC貴族のためだけの「利権の宴(うたげ)」に過ぎない。

 そんな東京都が、IOCと完全に不利な契約を結ばされているというだけの、どうでもいいことに、日本が世界最大になるであろうパンデミックになることに、ちゅうちょせず、本当の破滅の道へと突き進んでいる。

 当初は「復興五輪」という建前(たてまえ)だったが、原発廃炉の道も、思うようには見通しが立たず、技術的に困難を極めている。

 私はクソ頭の悪・おかしい、現実逃避と責任回避の自公政治家たちのバカ浮かれた五輪よりも、福島原発の「デブリ取り出し」のことしか頭にない。

 五輪で生まれた雇用は、法人税を上げて、大企業が抱える内部留保446兆円のほんの数パーセントを供出して、補償すれば済む話だ。
 

 経団連が拒むなら、国債を発行してやればいい。

 五輪は完全に中止して、完全に金の亡者でしかないIOCを糾弾(きゅうだん)して、この夏は政府とメディアが弛緩(しかん)した(「気のゆるんだ」の意)国民に対して、自粛ムードを呼びかけるべきだった。

 つまりは私と同じ考えである分科会、尾身会長の方針の下に、外国から10万人の危険な人たちも入れず、五輪を中止させて、国民に対して深刻で重大な、警告のメッセージを発信して、自制を促すことで、まじめな国民性の日本人ならば、昨年の緊急事態宣言のように、感染拡大は十分防げたはずだ。

 

 菅政権の罪は極めて重い。

 そもそも「Go To トラベル」でコロナを再拡大させたのも、「外資系議員」と呼ばれる菅義偉である。

 感染は急激に拡大しているから、オリンピックは今からでも中止すべきである。

 日本人選手は、今回のオリンピックは絶好調であり、それを自分たちで無効にするのだから、潔(いさぎよ)いと受け止められる。

 アスリートファーストかもしれないが、国民の命や、日本という国よりも、スポーツという一娯楽の中のアスリートが優先されるはずがない。

 そして事実上は、自公の政治家ファースト、IOC貴族ファーストである。

 

 日本人に「目を覚ませ」と言いたい。


 尚、NHKには以下のメールを送信済みである。


 「今年7月の東京都議会議員選挙に西多摩選挙区から立候補して、無名、無所属にも関わらず、国民民主党の候補を上回るなど、3%を得票した日本哲学会・哲学者の高澤一成という者です。
 私は父が昨年12月にコロナに院内感染して死去したため、「五輪の中止」を訴えて立候補したのですが、6月22日にあきる野市で行われた候補者のテレビ討論会では、主催者側の手違いで、正確な時間と場所を伝えられず、私が30分遅刻したため、「コロナ」と「五輪」という最初の2つのテーマの討論に参加できませんでした。
 その討論会の後、私が遅刻した経緯を知っていたNHKの記者さんから、「どのような気持ちで五輪を迎えられるのか」という主旨での取材の打診の電話を7月16日に頂きました。
 そして今、五輪が中盤に差しかかる中、まさに私が危惧していた通りとなり、東京都の感染者数が1日3,000人、そして今日には4,000人を突破して、自宅療養している人が10,000人にも達しているにも関わらず、東京都福祉保健局長がメディアに対して、「あおるな」と発言するなど、戦時の大本営発表に近い、非常に危機的な状況となっています。
 そこで、コロナ関連の番組が充実しているNHKさんには、ぜひ私の方にも取材に来られることをご検討していただきますよう、お願い申し上げます。
 そして(中略)、7月28日に小池都知事が「第3波と比べ、ワクチン接種が加速して、60代以上の感染が減っている(から今回は安心)」という見通しの甘いメッセージを発信していますので、昨年2~3月ごろに、NHKで確か19時30分に放送されていた、若者の間にも感染が拡大するという「サイトカインストーム」の番組について、再度、放送していただき、この番組のような、若い人たちから40~50代に対しても、コロナに対する危機感を啓発する番組作りをしていただきますよう、ご提言申し上げます。」






 

■都議選に立候補して、2126票、3%を得票

 この度、私は東京都議会議員選挙に地元、西多摩選挙区から立候補して、「新人・無名・無所属・支援者なし」にも関わらず、2126票、3%を得票した。
  
2021東京都都議会議員選挙  落選した主な候補者
末武あすなろ れいわ・新 36歳 元劇団員 足立区 7,996(3.5%)
高沢 一成  無所属・新   47歳  哲学者   西多摩 2,126(3.0%)
関口 太一  国民民主・元 45歳 元区議   世田谷 7,859(2.4%)
遠藤 史啓  テレビ改革  35歳  会社社員 武蔵野 1,229(2.1%)
藤川 広明  テレビ改革  48歳  会社社員 江東区 3,342(1.9%)
松田 美樹  嵐の党・新   34歳  元区議    練馬区 3,669(1.4%)
中根 淳    国民主権・新 48歳 シェフ 杉並区  2,439(1.2%)
井田 恵介  嵐の党・新   29歳  音楽家   豊島区 1,069(1.1%)
黒瀬 信明  嵐の党・新  36歳 元会社員 葛飾区 1,497(1.0%)
後藤 輝樹  諸派・新 38歳 印刷業  葛飾区 1,326(0.9%)
河合 悠祐  諸派・新       40歳  会社社長 葛飾区  929(0.6%)
押越 清悦  諸派・新      62歳  NPO      八王子 1,048(0.5%)
片岡 将志  嵐の党・新   26歳   配信業   大田区 1,012(0.4%)

都議選の詳細は本記事の後半で。

 

 

 


■東京五輪騒動と日本解体の脅威 

―哲学者が人権主義から日本を守る―

 

(朝日新聞  7月23日)


 20年以上前の発言とは言え、小山田、小林、両氏の発言は批判されるべきものであり、犯罪ではないが、決して繰り返されてはならない非道徳的なふるまいである。
 

 しかし、「道徳」を全否定しているマスコミや知識人が、彼らを道徳的に個人糾弾(きゅうだん)することがなぜできるのだろう? 
 そこまで彼らを攻撃したいなら、あなたがたが全否定してきた道徳ではなく、法的に提訴したらいかがか? 

 そもそも中国のような人治主義でもない限り、何人(なんびと)も人を裁く権限はないし、哲学や宗教など、普遍的な道徳は彼ら日本左翼にとって内心の自由であり、NGであっても、なんら道徳的ではない彼ら日本左翼の主観という道徳だけは個人糾弾できるとでも言いたいのだろうか? 
 

 彼らメディア権力は神にでもなったつもりなのだろうか? 


「…マスメディアは第四の権力であるどころか、第一権力にほかならないのである。
…第一権力が自己のもの以外の一切の権威…に攻撃を加えるときに何が起こるか。
それは、いうまでもなく、社会秩序の瓦解である。」
 (西部 邁 著 「国民の道徳」産経新聞社)

 

 戦後一貫して道徳を全否定してきて、嘘つきで矛盾しかないマスコミに対しては「客観報道に徹しろ」と言いたい。

 そもそもが私とほぼ同世代くらいの小山田・小林両氏による心ない問題ある発言や行いも、マスコミと知識人が戦後一貫して道徳を否定してきたことによる―。

「戦後の環境があまりに不道徳であったから…。戦後の世論とそれを扇動してきた戦後知識人は一貫して私の敵であった。…道徳について論じるものを道学者とよび、道学者を『生の選択肢を縮小させるもの』として非難するのが近代の習わしであった。」(西部 邁  同著)

  但し、無論、私は道徳に精通する道徳家なので、道徳的に彼らを批判するし、いじめた障害者の方や、ユダヤ人に対して道徳的に謝罪すべきと主張する。
 そもそも道徳なく、和解なく、人権主義の名の下に日本人が日本人を攻撃して、日本人を分断、対立させたいという意図を持つ勢力がこの国のテレビや新聞にはあるようだ。

 その先にあるのは、日本の左翼が意図するにせよ、しないにせよ、中国共産党が望むような、「日本解体」だ。

 塩村文夏ヤジ騒動、Me Too運動、あいちトリエンナーレに続く、日本の男性や日本人や天皇を攻撃、逆差別して大衆を味方に付けようとする「自己正当化」のお祭りが、道徳のない日本左翼によって、「日本だけ」で行われている。

 彼らのやっていることは、完全に客観報道を通り越した「個人糾弾(きゅうだん)」だ。

 事実、ツイッターなどでは、無哲学・無思想にも関わらず、匿名で影響力を持つ愚かな人たちが、木村花さんを攻撃したように、同じ日本人を個人糾弾して、つまりは日本左翼の術中にはまって、息巻いている。

 マスコミと、マスコミの支配下に置かれつつあるネットによって日本の道徳が粉々に破壊され、日本の解体と分断が進んでいる。
 そして、東京五輪では、残念ながら、「外資系」と呼ばれる菅首相の菅政権も、これらマスコミで取り沙汰された人たちをすぐに解任して、これら過去に過ちを犯した日本人を改心させたり、教育することなく、ましてや赦(ゆる)すことなく、断罪、排除、全否定することだけによって、それに加担してしまっている。

 無論、小山田、小林両氏の発言は20年以上前とは言え、思慮分別のない小学生レベルの行いであり、ブラックユーモアでは済まない大問題である。

 しかし、当時叩かなかった民放キー局や一流紙が、なぜ今になって鬼を首を取ったように個人糾弾することができるのだろう? そもそも当時は、この両氏ほど悪質なものではないにせよ、ブラックユーモアが一世を風靡していた時代が確かにあったのである。
 
 私は日本人に対して差別発言をしたサッカーの共にフランス代表・バルセロナで20代のデンベレやグリーズマンに、政治的な意図がないように、当時20代だった小山田、小林両氏にも、障害者やユダヤ人に対する差別や政治的思想や意図がなく、つまり、彼らすべては、安直な行動が先走ったり、何かを攻撃、反抗しないと仕方ない衝動に駆られる若い時期だけの過ちと考える。

 少なくともデイブ・スペクターさんがそう言っている。

 

 

 日本のテレビでまともなことを言っているのはデイブ・スペクターさんとフィフィさんしかいない。 

 「財務次官セクハラ、Me Too騒動」の時も、唯一果敢にテレ朝を批判したが、デイブ・スペクターさんよ、私の分まで頑張るのだ…デイブ・スペクターさんはあまりにも日本人っぽいので、冗談で「上尾市出身」という設定だが、私も上尾市には1996年から2009年まで住んでいた(※1998年~2000年は北区の王子)。

 

「(ユダヤ系団体のサイモン・ウィーゼンタール・センターは)今回も解任を要求しているわけではない…。

 本来ならば…もしかしたらスルーした可能性もあったと思いますが、日本の政府を代表する副大臣に指摘されたから、それはフォローせざるを得ないというところになった。

 問題の動画を見ましたけど、いろんな長いコントの中で、5秒くらいなんです。

 ホロコーストをテーマにした長いネタではなく、結局は一言の不謹慎なギャグ。

 言ってはいけないんですけども、ブラックユーモアの延長線として、ちょっと危ないネタを入れたがる芸人もいる中で、やったわけですので、たくさんのホロコーストを揶揄(やゆ)する、あるいは否定するような、罪の大きいことの中では、決して大きい方ではないです。正直に言いますと。

 …普通だったら、オリンピック組織委員会などが、ちゃんと見て、話を聞いた上で、審議した上でアクション取るべきだったんですけど、かなりリアクションが早すぎたような気がするんです。

 『言われたからやる』というのが一番良くないパターンだと思うんです。

 …ただただ飛躍して解任したわけですから。」

(デイブ・スペクター/テレビ朝日「ワイドスクランブル」7月23日)

 

 日本のテレビにはまともな論客は一人もおらず、道徳倫理のあるフィフィさんやデイブ・スペクターさんがかろうじて日本を、哲学と道徳のない人権主義から守っているのが現状である。

 そして少なくとも、ユダヤ人やユダヤ教徒に対する差別が飛び交っているようなアメリカの映画は、このように日本人を個人糾弾するメディアの日本人によって、焚書坑儒や蛮社の獄のように、アメリカの多くの映画監督が攻撃の対象にならなければ、つじつまが合わない。

 タランティーノなどのハリウッド映画は、特定の層の人たちを傷つけるような表現で成り立っていると言っても過言ではないが、それに対抗する宗教倫理の道徳がアメリカにはあって、また、映画は単なる娯楽、フィクションであって、映画の世界が全肯定されるということでは全くないのだ。また、映画の表現をすべて細かく規制するとなると、まるで中国共産党に検閲されたみたいに、学校の教科書のような映画しかできなくなってしまう。

 
 そして今回のケースみたいに、20年以上も遡(さかのぼ)るとなると、過激なブラックユーモアを量産してきたビートたけしさんなどは絶対にテレビに出られなくなる。
 そして、このような道義的に問題のある人が、何の調査もせず、問答無用で解任されるなら、前科のあるビートたけしさんや小室哲哉さんが、当然芸能活動が一切できなくなってしまい、清廉潔白で、若い時にも一度も過ちを犯したことのない、つまりは一度も挫折をしたことのないような奇跡の人、あるいはお坊さんのような人たちだけで東京五輪を運営すべきという話になる。
 私が言いたいのは、森会長やクリエーティブディレクター佐々木宏氏もそうだが、小山田、小林両氏にしっかり謝罪、改心させた上で、道徳のない(ヘーゲルがいうところの)下賤(げせん)な左翼連中に個人糾弾させるのではなく、聖パウロやスピノザが重視するような赦(ゆる)しによって、迷惑をおかけした先方に対して、徹頭徹尾謝らせて、心の底から謝罪して和解して、そのような「赦し」を請うた上で、その後で続投させるか解任するかを決めるべきである。
 
 もちろん、海外メディアからの批判はあって然るべきだが、だがそうしたメディアに対して釈明や謝罪はあっても、そんなことでいちいちアメリカの大統領が辞めたりしないように、日本でもメディア権力や、その背後にある反日的な人権主義に屈するかたちで、公的な立場にある人を、簡単に辞任させるべきではないのだ。 
 

 「新奇な犯罪の多くは人権主義の帰結」
 「道徳を破壊する道徳、それが人権主義」 
 (西部邁 著「国民の道徳」 )


 逆に今のJOCには一体誰が残っているのだろう? 
 橋本聖子は、私と同じ北海道出身であり、アスリートとしては実績のある人だが、これだけ多くの人がメディアの力によって、バンバン辞任させられたら、竹田恒久会長や猪瀬都知事がいなくなったことも合わせて、くしの歯が欠けたような有り様である。
 

 しかし、デイブ・スペクターさんが言っていることを何も聞かず、中野信子という女性は公共の電波で恐ろしいことを言われている。

「『ただの不謹慎狩りだ』とか、『忘れた方がいい』だとか、『20年以上前のこと今さら』とか言う人いるんですけど、ユダヤ人を知らないなと思います。…新郎が必ずグラスを飲み干して、グラスを叩きつけて足で踏むっていうことをするんですね。…2000年前にエルサレム神殿がローマ帝国に奪われたことを忘れないためにやるんですよ。2000年前のことですよ。たかが20年前のことなんて本当に昨日のようなことです。それくらいの人たちですから、本気で謝罪した方がいいと思います。」
(中野信子/テレビ朝日「ワイドスクランブル」7月23日)

 

 小林賢太郎さんの言動は謝罪しなければならないが、すでに謝罪・辞任して社会的制裁を受けている小林賢太郎さんがまるでナチスかユダヤ人差別主義者であるかのような言い方は到底受け入れられない。

 

 しかも彼女のこの言い草だと、「一切のイタリア人やドイツ人も謝罪しなければならない」ということになってしまわないだろうか?

 つまりユダヤ人が辿った歴史と、小林賢太郎さんの心ない言葉がすぐに直結できるというものではない。

 

 そこまで言ったらエジプト人もダメだよ。ユダヤ人はエジプトで迫害されて、モーゼは命がけでエジプトから逃れたわけだから。

 ましてや2000年も遡(さかのぼ)って、日本人が日本人を公共の電波を使って感情的に個人糾弾する資格はないし、そもそも、彼女はユダヤ人やユダヤ教と何の関係もないし、この問題とも何の関係もない。
 ユダヤ教について何も知らない彼女が、そんな、人一人の人生を追い込むような、感情的な内心や思いの丈を公共の電波で爆発させることはあってはならないのだ。

 ましてテレビが戦後全否定している「道徳的な問題」によって。
  
 ユダヤ教は洪水のような自然災害やモレク(子どもの人身御供)に対抗した、人間的で道徳的な、最初の偉大な宗教である。
 道徳とは関係ない、テレビで個人糾弾をする人たちがとやかく代弁するのは2000年早い。

 小林さんは、ユダヤ系団体から批判されて、IOCから辞任されられたことで、社会的制裁は受けている。

 また、小林さんについては、「常識がないよね」などの感想は、個々人が勝手に思っていればいいことであって、道徳倫理に関しては門外漢(もんがいかん)である中野さんの、道徳と赦(ゆる)しの心のない、ズレた内心など聞きたくもない。
 

 だが、テレビの影響力が強い3500万人の高齢者は、中野さんの「認知神経科学者」という肩書きを見て、同調してしまうのである。
 公共の電波を使って、門外漢の、追い込むような感想を入れて、60~70年代の全共闘世代のように、個人糾弾(彼らの好きな粛清)する必要などないのである。
 他の国では当たり前だが、社会にはいろんな人がいるので、主観を差し挟まない客観報道だけである。

 また私は、イスラエル人やユダヤ人が、中野信子という女性が勝手に思い込んでいるほど赦(ゆる)しのない人たちだとは全く思わない

 大変悪質な心得(こころえ)違いとは言え、デイブさんが言うような軽度な冗談で、すでに謝っていて、辞任もさせられたのに、敬虔(けいけん)なユダヤ教の人たちが赦しの心なく、「報復しようと憤(いきどお)っている」と考えるなら、相当失礼な話である。

 

 そんなことを言ってしまったら、原爆や原発について何も知らずに一回だけ心ないことを言ってしまった20代の外人を徹底的に叩き潰さなければならなくなってしまう。我々は、中野さんやテレ朝のようには、そんなことはしない。

 

 中野さんには悪いが、原爆投下を正当化するアメリカ人なんて山ほどいるが、今の時代に、そういう人たちにいちいち謝罪を求めていくことが、建設的な道とはとても思えないのである。

 そして日本人に対してはそうした謝罪はしなくてもいいから、日本人だけは、中国や韓国に対して未来永劫(えいごう)、謝らせ続けたいという背後的な意図が見透(す)かされてしまう。

 

 重要なことは中野さんのような個人糾弾ではなくて、「道徳的な和解」である。


 私はむしろ中野信子という女性の背後にいる道徳のないテレビ、マスコミに、「なんとか日本人だけを吊るし上げよう」という反日的な悪意を感じる。

 むしろ、今年5月にパレスチナを空爆したネタニヤフ首相よりも、なぜ23年前の小林氏の過ちがユダヤ人でもない人たちによって、これだけ批判されているのか?
 ラーメンズの片桐仁さんも深く謝罪しているが、私はデンベレを差別主義者にする気も、この女性みたいに、ラーメンズ(小林賢太郎)をナチスに仕立て上げる気もない。

 そしてこうした個人糾弾(きゅうだん)による印象操作によって、道徳のないメディアの左翼が、まるで「正義の側」になってしまう

 彼ら日本左翼は、「多様性」や「ジェンダー」などという概念を利用して、道徳なく、赦(ゆる)しなく、ヒステリックに同じ国民を個人糾弾して、自己正当化して、自らを善として、他者を攻撃して、日本国民を分裂させて、大衆を味方に付けようとする。

 

 かつてイスラム国が、「イスラム教」という概念を利用してそうしたように。

 

 キリストとヘーゲルはこのような「自己正当化」をとことん否定している。

 

「…正当性の意識を得ることがまったくの自己目的になってしまっている。
ヘーゲルはこういう自己正当化の意識を、醜いものとしてとことん否定しようとしている。
…それはかならず『おのれを義(ただ)しいと信じて他人をさげすむ』ことにつながる。
イエスも…自分の義(ただ)しさを誇ることを戒めていたではないか。」
 (西 研 「ヘーゲル・大人のなりかた」 日本放送出版協会)


 哲学的に言っても、道徳的に言っても、キリスト教的に言っても、「日本左翼=イスラム国」という認識で問題ないが、メディアジャックしている彼らが暴力や犯罪を用いない分、テレビの影響を受ける3500万人の高齢者を説得することができず、イスラム国の何千倍もタチが悪いのだ。

 だが、メディアに囃(はや)し立てられたこれら「悪感情」の徒が、高橋洋一さんを個人糾弾した石垣のりこやナイナイ岡村さんを個人糾弾した望月衣塑子(いそこ)さん、小林賢太郎さんを個人糾弾した中野信子さん、感情だけで、極端な法律を成立させてしまっている伊藤孝恵といった私と同世代の道徳がなくて赦(ゆるし)しのない女性が影響力を持ち始めている。

「…感情に服する人は自分を支配する立場にはなく、偶運の支配下に置かれている…。」
(スピノザ著「エチカ」 佐藤一郎 編訳 みすず書房)

 

「理性の導きによって生活する人は、できるだけ自分にたいする他人の憎しみや怒り、軽蔑などを、逆に…寛容の心によってむくいようと努力する」
(スピノザ著「エティカ」 工藤喜作、斎藤博 訳 中央公論新社)

 

 一方で、私と共通点の多い哲学者であるスピノザは、感情による政治的な行動を否定し、理性と寛容さによる赦(ゆる)しを強調している
 

 国民民主党の伊藤孝恵に至っては、政治家にも関わらず、「性犯罪者を社会から抹殺する」というだけであり、未熟な社会の構成員をしつけて、性犯罪者を生み出さないようにするとか、性犯罪者を改心させるという方法論なく、憲法に違反した、国民の自由を制限して法権力を拡大させる、「体罰禁止の法」に続く人権主義の流れの、悪法を作ってしまっているのである。

(伊藤孝恵議員のツイッターより)


 「わいせつ教員対策法」については、無論、学校教員のわいせつは断じてあってはならないが、「教育現場から排除すれば終わり」という単純な話ではなく、児童にわいせつな行為をする大人が増えているのは、社会学の権威であるデュルケムが言うように社会全体の問題であり、つまり、昭和の時代には少なかったわいせつをする教員が今の時代にこれだけ多いのは、戦後左翼が道徳を排除して、ネットで性娯楽が氾濫してしまった日本社会の問題でもあって、教員に対する道徳教育が重要であり、また、教師の職に就けなくなった犯罪歴のある人は、他の職種にも就けなくなり、道徳教育がされないまま、当然社会復帰して、社会に順応するどころか、社会から抹殺された以上は、社会を恨んでの再犯の可能性も高くなって、理性によって心から改心させるという根本的な対策ではない以上、別の犠牲者が出かねないのである。

「意識において自らの個性は、それ自体正しく善きものである普遍的なもののもとにしつけられるべきである。…つまりそれは、意識が実際もはや個々のものに囚われたままではないということを証示することなのである。徳の意識にとっては、…つまりこのことは、個人の意識そのものに関しても、また、世の流れに関しても、当てはまるべきなのである。」
(放送大学「ヘーゲルを読む(精神現象学)」 元日本哲学会会長・東大教授 高山守)


「法律的条項をもうけることによっては、どのみち人びとの道徳的感受性をめざめさせることはできないだろう。」

(デュルケーム著 宮島喬訳「自殺論」中央公論新社)

 

 新法によって職場から永久に排除されることになった20~30代の若い男性教員という性犯罪者の「母親」もまた、女性なのである。世の中には、評判が良くて気品のある大女優の息子であっても、性的暴行のかどで「絶叫謝罪」をしたり、覚せい剤の常習で、たびたび捕まったりしている。

 

 「伊藤孝恵さんだけが特別」というわけではないのだ。

 

 そして、この法律を礼賛している女性がたも、道徳が崩壊して、かつ性的な娯楽の氾濫(はんらん)した今の日本社会に自らの息子を晒さざるを得ず、「次は我が身」であるのだ。

 

 同じく私と同世代の山尾志桜里も、自殺された不倫相手の奥様について、マスコミ対応や会見をしないまま、政治家を辞める意向というが、少なくとも、より模範的で公的な存在の女性国会議員に、このようにほとんど道徳が垣間見れない以上、道徳的に改心しないままの女性の社会になりつつあることは疑いようがない。
 

 彼女は故・永田寿康さん同様、能力がありながら、徹底的に道徳がないという一事で没落してしまった。
 

 私が1973年生まれであり、石垣のりこと山尾志桜里が1974年生まれ、伊藤孝恵と望月衣塑子さんと中野信子さんが1975年生まれだが、ほぼ同世代で1976年生まれのエジプト人のフィフィさんの方が、道徳倫理的に見て、フィフィさんに非の打ちどころがないくらい100対0で、圧倒的に優れているのである。

 

 彼女たちとフィフィさんとの道徳観、倫理観の開きこそが、「決定的な国際社会と日本との差」であることに、日本のマスコミが一切顧みないし、顧みようともしない時点で、日本のマスコミは完全に終わっているのである。

 

 これは私が石垣のりこ、望月衣塑子、伊藤孝恵、山尾志桜里、中野信子より人として優れているというのではなく、彼女たちもそれぞれの分野で能力が高くて、専門分野が異なるというだけであり、かつ、哲学や道徳が他の分野よりも下ということは絶対にないということだけなのである。
 そして、彼女たちの周りには、「哲学や道徳が他の分野よりも下ではない」という人たちがいない(つまり私からみて無哲学、無思想な左翼的な人たちしかいない)というだけであって(但し、日本の右にも哲学や道徳を重視する人なんてほとんどいないが)、つまり社会環境によるところが大きく、彼女たち個々に非があるとは全く思っていない(もちろん、同世代で同じ日本人である私と人として共有できることはほとんどなく、大いなる失望はあるけど)。

 

 また、「女性の同性愛者」ということで、立憲の公認で、参院選に京都から出馬した増原裕子さんが1977年生まれであるが、三橋貴明氏の盟友で、国民のために消費減税と財政出動を訴えて、「新自由主義」と戦う数少ない自民党の政治家である西田昌司先生の議席を脅かしており、つまりは日本国民にとっては悪夢でしかない、「人権主義」と「新自由主義」が両方勝ってしまうという、左翼にしてみれば一挙両得の選挙区である。

 石垣のりこ、望月衣塑子、伊藤孝恵、山尾志桜里、中野信子、増原裕子さんら団塊ジュニア世代には、見た目が美しくて、全くしつけられていない、美輪明宏さんの言う「自己本位的な女性」が多く、テレビや左翼によって礼賛(らいさん)される傾向にあるが、今の時代は、(本来は新自由主義に対抗する概念だった)SDGs(エスディージーズ)の名の下に、ジェンダーが声高(こわだか)に叫ばれており、ますます道徳がなくなっていって、モンスターペアレント化、クレーマー化していき、これらテレビや左派に礼賛される団塊ジュニアから、上西小百合、塩村文夏に至る80年代生まれの女性が、政治家や公人にも関わらず、一度も挫折しなくてもいい、一度も謝らなくてもいい世代であり、フィフィさんが一番痛感されていることかもしれないが、「こんな国はおおよそ日本しか考えられない」。

 しかしながら、彼女たちと同世代であっても、見た目で得をしない女性はその限りではないから、日本の左翼によって仕向けられた外圧によって喧伝(けんでん)されているような「対男性」、「男性差別」(反日国が大喜びする日本人同士の対立、分裂)が解決策ではなく、たとえば山尾志桜里の不倫相手の奥様が、実子の親権を奪われて自殺されたのを見ても、男性差別の必要性はなく、完全に「女性間の問題」であり、「見た目で得をしている女性がしつけられていない、道徳がない」ということが問題の本質にあるのである。

 

 事実、道徳のない女性のモンスターペアレントやクレーマーに対応しなければならないのは、女性の事情がよくわかっている女性の教員であり、女性の店員であり、女性の従業員であり、女性の係員であることが多いのである。

 

 また、デイブ・スペクターさんが言っていることを何も聞かず、柳澤秀夫というジャーナリストが人聞きの悪いことを言っている。

「『ラーメンズ』というコントをした小林さんのグループですよね。個別の問題、責任ということだけでは語れない部分があるような気がするんです。…たとえば劇場で見た人たちがその瞬間、ふっと笑ってしまったようなシーンがあるふうに、…聞いた話ですけれども、…もしそういうかたちで劇場の中で、このジョーク、コント、笑ってしまった人たちがいたとしたら、それこそやっぱり重大な問題だと思うんです。」

(柳澤秀夫/テレビ朝日「ワイドスクランブル」7月23日)

 

 まるで日本人全体がユダヤ人差別主義者とでも言いたげな言い草である…。

 

 しかし実際は、私と同世代以下の日本人が、このように道徳がなくなってしまったのは、彼ら民放キー局を始めとする戦後左翼のマスコミが道徳を全否定してきたためであり、かつ、日本には杉原千畝(すぎはら ちうね)というナチスの迫害から逃れた多くのユダヤ人の避難民を救った偉人もいて、日本人の大多数が杉原と同じ立場だったら、同じことをしていたか、上の命令でできなくともやろうとしただろうという確信が私にはある

 
 小林賢太郎さんの言葉は不謹慎であり、恥ずべきであり、あってはならないし、申し訳ないが、日本のラーメンズのファンは「ホロコーストをよく知らない」というだけであって、この人が言うような、明確な差別主義や差別的な思想は日本人にはない。

 もちろん、海外から見て「日本人が日本人を批判するのが日本の優雅さ、寛容さだ」という理屈もわかるし、それも事実だろうが、保守として知られたNHKの海老沢会長が失脚させられて、「テレビが反日になった」と言われた2005年以降は完全に度を超えていて、かつ、中国やロシアなど、日本よりもよっぽど問題のある他の国には全く押し付けられないような、とんでもない人権主義的なこと、「子どもの権利条例」や「体罰禁止の法律」、国連左翼やキリスト教倫理を否定するスウェーデンの悪法の類を、五輪やSDGsという概念を利用して、日本だけに「押し付け」られているのである…。

 

 

 


■感染拡大のまま、五輪強行開催。

 

(朝日新聞 2021年7月23日)

 

 ジェンダーと、三橋貴明氏と正反対の経済観で、私とは正反対である上野千鶴子さんが「五輪反対」の音頭を取っているので、私としては「五輪反対」と言いづらくなる。

 また、アスリートには何の罪もないため、五輪それ自体は、つつがなく進行されていくのだろう。

 だが、五輪開幕の前日に、東京の一日の感染者数が過去5番目に多い1979人を数えるなど、パンデミック下での開催は、私の父の死の遠因となったGo To トラベルの二の舞となるだろう。

 

 否、昨年夏に一旦コロナが収束して、インフルエンザや風邪をひくような季節には感染が広がりにくく、「暑さに弱い」とされてきたコロナが、この連日の記録的な猛暑にも関わらず、1900人という最高に近い感染者数を叩き出しているのだから、10万人もの外国人を入れた上での、しかも他国と異なり、外国人が外出できる状況での五輪を終えた後の今年の秋、冬の感染者数は、デルタ株やら、40~50代の感染拡大やらなんやらで、昨年のアメリカやブラジル並みになってしまうに相違ない…。

 私は五輪中止を公約にして都議選に出たが、五輪開催の自民と都民ファーストだけが大勝して、私と同じく五輪中止だった立憲が、野党共闘で2万票も減らした現実を見る限り、皮肉にも、五輪中止を公約にしたことによって落選したと言わざるを得ない…

 

 民意は尊重したい。

 だが、コロナの前からご当地、西多摩の補助金を減額しながら、国民の生命も守らない政治家が当選していいものか?

 私の失意は尽きない。

 衆愚政治だと言ってしまえば怒られるだろうか?

 

山内健司「『(バッハ会長がオリンピックの)リスクがゼロで大丈夫です』ってメッチャ言ってるんですけど、リスク絶対あるとは思うんで、もしオリンピックの後に状況が変化した場合に、IOC的に何かしてくれるのかとか、バッハさんはそうなった時にどうしますって全く言ってないから。その辺はどうするつもりなのかな。」

松本人志「俺もそれ聞きたい。記者の人たちにもそれ聞いてほしいです。一応ね。」

(フジテレビ 「ワイドナショー」 7月18日)

 松ちゃん(松本人志)やかまいたちの山内さんが、「五輪でコロナが悪化したらIOCが責任を取るのか?」と言っていたが、テレビに出ている人でさえ、IOCだけが五輪を中止したり、マラソンの開催地を札幌に変更する権限があって、逆に「すべての責任を東京都が負う」という不平等な開催都市契約であることを知らない。

 あまりにも不平等なIOCと東京都の「開催都市契約」
 (サインのリ - デザイン)


 結局番組はそのまま進行してしまい、テレビが意図的に伝えないということなのか。

 だがIOC貴族に対する隷属も、日本解体を目論(もくろ)む道徳のないテレビ、マスコミによる個人糾弾という人権主義の宴(うたげ)も、8月8日でようやく終わる。
 

 私は都議にはなれなかったが、都の財政は別にしても、8月8日になれば「東京五輪の呪縛」から解き放たれる。
 
 そして、道徳を破壊して、日本人同士を対立させ、テレビと新聞とSNSが仕掛ける「人権主義」というさらに大きな呪いからも解き放たれなければならない。
 事実、こうしたメディアによって日本国民だけに向けられている人権主義は、お隣の国、中国には存在しない。
 そもそもかの国には人権自体がないのだから―。
 
 そして当たり前だが、人権主義が一番必要なのは中国やロシア、ミャンマーであって、「日本ではない」。
 ジェンダーが一番必要なのも、中国や中東、アフリカであって、「日本ではない」。
 
 そして、児童虐待が激増している日本に一番必要なのは道徳である
 
 道徳を破壊する日本の人権主義と児童虐待を止めて日本を救えるのは哲学者であり、道徳家である私しかいない―。

「◇道徳的な政治家とは 
法の概念を政治と結びつけることが…必要であり、法の概念を政治を制約する条件にまで高める必要があることを考えると、政治と法の概念を…結合させねばならない。

…その結びつきとして考えられるのは、道徳的な政治家の概念で…ある。

道徳的な政治家とは、国家戦略の諸原理が、道徳に反することのないようにつとめる政治家で…ある。」
(カント著   中山元訳「永遠平和のために」)


 

 

 

 

 

■都議選に立候補して、2126票、3%を得票

 「新人・無名・無所属・支援者なし」で、西多摩選挙区から東京都議会議員選挙に立候補して、2126票、3%を得票した。
  

   

  (顔写真は私ではない感じもするが…)

 


2021東京都都議会議員選挙  落選した主な候補者
末武あすなろ れいわ・新 36歳 元劇団員 足立区 7,996(3.5%)
高沢 一成  無所属・新   47歳  哲学者   西多摩 2,126(3.0%)
関口 太一  国民民主・元 45歳 元区議   世田谷 7,859(2.4%)
遠藤 史啓  テレビ改革  35歳  会社社員 武蔵野 1,229(2.1%)
藤川 広明  テレビ改革  48歳  会社社員 江東区 3,342(1.9%)
松田 美樹  嵐の党・新   34歳  元区議    練馬区 3,669(1.4%)
中根 淳    国民主権・新 48歳 シェフ 杉並区  2,439(1.2%)
井田 恵介  嵐の党・新   29歳  音楽家   豊島区 1,069(1.1%)
黒瀬 信明  嵐の党・新  36歳 元会社員 葛飾区 1,497(1.0%)
後藤 輝樹  諸派・新 38歳 印刷業  葛飾区 1,326(0.9%)
河合 悠祐  諸派・新       40歳  会社社長 葛飾区  929(0.6%)
押越 清悦  諸派・新      62歳  NPO      八王子 1,048(0.5%)
片岡 将志  嵐の党・新   26歳   配信業   大田区 1,012(0.4%)



 「たった2126票しか獲れなかった」とも言えるが、それでも次の二つのことは確実に言える。

①「自民」(「公明」推薦)、「都民ファースト」、「立憲」といった誰もが知る大きな国政政党、地域政党ではなく、「私」という無名の一個人に対して2126票、3%も入れた人がいたということ。

②投票日は一日中雨だったにも関わらず、政治に関心があって、自民(公明推薦)、都民ファースト、立憲以外に入れる人が3%もいるということ。


 そして人生初めての選挙を、私はあえて「大惨敗の勝利」と形容する。

 理由は得票率で、私を公認しなかった国民民主党の候補者に勝ったためである。


 

 高沢 一成  無所属・新   47歳  哲学者   西多摩 2,126(3.0%)
  関口 太一  国民民主・元 45歳 元区議   世田谷 7,859(2.4%)


 関口太一氏は私より何千億倍も有利な立場であった。

 

 国民民主党は国政政党であり、連合という組織のバックアップに、数十億円という潤沢な政党交付金があり、すべて何もかも党の運動員がやってくれていて、かつ4月の段階から、世田谷の全戸にポスティングをかけ(これが一番大きい)、ビシッとしたスーツを着て、主要駅前で国民民主党の表示物を立てて、ビラ配りをしている様子をツイッターで横目に見て、さらに選挙期間には玉木雄一郎と一緒に選挙運動を行うなど、完全に一人で、しかも2週間前に立候補を決断した私とは雲泥の差だったが、結果としては、私が3.0%で、関口氏が2.4%であり、投票日に雨が降らなければその差がさらに開いていて、私を門前払いした国民民主党に対しては、乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝利だったと言えるのである。

 逆に関口氏は元区議で、つまり前職でもあり、100%、100対0で私に勝たなければならなかった。
 

 れいわと国民民主党は都議会の議席を獲得できず、国政政党で億を超えるお金があるにも関わらず、無名で支援者のいない私一人と同等の戦いしかできず、それだけ大惨敗だったのである。
 

 逆に言えば、国民民主党、そして関口氏のこの大敗は関口氏一人の責任では全くなく、実子の親権を奪い取った不倫相手の妻が自殺するなど、倫理的な大問題を起こしたにも関わらず、メディア対応を一切行わなかった山尾氏の責任が大きいと言わざるを得ない。

 そもそも私は昨年に玉木雄一郎代表が、三橋貴明氏のYouTubeに出演して、経済政策で意気投合していたので国民民主党の公認を求めていたのだが、私が公募に選ばれなかったことは、私が同党に対してコネがなかったという一事であり、その事に対する恨みは全くない。

 むしろ、私の公認が断られた数日後に、週刊文春で山尾志桜里の不倫相手の奥さんが自殺してしまったという報道が出て、山尾氏もマスコミの取材に応じないため、同党を完全に支持できなくなってしまった。

 また、今、私が国民民主党を厳しく批判しているのは、私が公募に選ばれなかったためではなく、今年に入って玉木雄一郎氏が極端なジェンダーに走っていることや伊藤孝恵議員の感情的な法権力の拡大の政策に対する反対によるものである。
 
 大言壮語かもしれないが、事前のポスティングをしていないなど、全く何も準備していない状況で、福生、羽村、あきる野市という都市部、住宅地で、3%も取れたことは、手ごたえのある選挙と言える。

 私は哲学者であり、道徳を重視しているため、それらの理解がない政党・政治団体からも公認をもらえず、2週間前にたった一人で無所属で出る決心を固めて、実家に近い福生市牛浜の法務局で60万円を寄付する気持ちで供託し、羽村市役所の分庁舎で2週間遅れの事前審査を受けた。
 

 自民、都民ファースト、立憲が、立候補予定者説明会から立候補届出を含め、ありとあらゆる政治活動、選挙運動を多くの運動員たちに任せっきりの中、私は選挙ビラの作成から、公報と選挙広告の作成、選管や選挙業者とのやりとり、ポスター貼り、出納(すいとう)責任者まで、何から何まで自分一人だけで行って、ついに最後までやりきった。
 
 また、自民(公明推薦)、都民ファースト、立憲の都議選の候補者の2連ポスターは町中に一年中貼ってあって、「そんなもんだろう」と思っていたが、都議選が終わった途端、それら町中の一般市民の家の壁などに貼ってあったポスターが町中からすべてなくなっていたため、「私一人に投票させないためだけに」西多摩の住民が意図的に貼ったことに気づいて愕然とした。

 

 それだけに、哲学と道徳を知らず、新自由主義で外資と大企業だけを優遇して格差を拡大させて、国民を貧困化させ、かつ人権主義で日本の道徳と社会秩序を破壊して、女性などをモンスター化させて日本を破壊する既成政党に対して完全に怒り心頭となった。


 事実、収支報告書を提出した際に、町中に3候補者のポスターがずっと貼りっ放しになっていることについて羽村市の選管に直接尋ねてみたところ、「撤去をお願いしている」とのことであり、「罰則のない違法行為」であることに変わりはない。

 また立憲は、告示日のだいぶ前から告示日前日まで選挙カーを回していたし、都民ファーストは、「私はすべてのことを完璧にやっています」 と言わんばかり(実際はコロナの前から西多摩の補助金は減額されているのだが)の小池百合子と一緒に映ったリーフレットを告示日2~3日前に全戸配布するなど、卑怯極まりない人海戦術を駆使しており、自民の候補にも公明党が推薦に付いていて、西多摩に多くある老人ホームから投票所までバスで送迎しているという話もあるため、選挙戦をやる前から結果は出ていたという選挙ではあった。


 そして、天は我に味方せず、投票日に一日中雨が降ってしまい、私は当日のうちに雨の中、地元の八幡神社に行ってお参りもしたが、4年前の都議選から西多摩選挙区だけで2万5千人も投票者が減ってしまい、当然、今回投票に来なかった人たちの大半が既成政党に入れる組織票ではない無党派層、浮動票であるため、無所属の私に大きく響いてしまい、法定得票に達しなかった―。

 今の時期のように雲一つない天気であれば、5000票は取れていたと豪語する。
 だが、それでも組織を持つ既成政党には遠く及ばず、当選には遠く及ばなかったのである。

 私の場合は、ここ数カ月は一日中X JAPAN の「ART OF LIFE」を聴きながらの、完全に一人による、45歳で自決した三島由紀夫を意識した人生最後の戦いとなった。

 ただ、市ヶ谷駐屯地に籠城・自決した三島由紀夫ですら、多くの同志がおり、ある種の集団心理の中で、理念を共有できる仲間や支持者がいたわけだから、そういう意味でだけは、「完全にたった一人で決断して、戦った私の方が上である」という矜持(きょうじ)はある。

 父が死に、北海道に帰る場所もなくなり、この年になっても一切彼女もできず、空しさとともに十分に生きた。
 マスコミの道徳全否定の流れの中で、新しい本を出版させてくれる出版社も見つからず、諦(あきら)めと空しさと怒りが私の中にはあった。
 491カ所という途方もないポスター貼りの大半に、車を出してくれた身内を巻き込んでしまったのは申し訳なかったが。

 だが福生市、羽村市、あきる野市、瑞穂町、日の出町、奥多摩町、檜原(ひのはら)村といった一番広い選挙区で十分戦えたわけだから、衆院選も十分戦える。
 つまり、衆院選はこれに昭島市と青梅市が加わるだけだから。

 まして西多摩では立憲が今回の都議選で、なんと野党共闘で2万票(3万5千→1万5千)も減らしているため、衆院選での立憲の公認候補である島田幸成氏の惨敗は確実となった。
 

 つまり、「私が出なければならない選挙である」と認識している。
 

 ただ、目前の衆院選で前回11万票も獲得している麻生派の井上大臣に勝つには、供託金300万円と、事前に西多摩全域にポスティングをするなど、選挙資金1000万円が必要であり、それなりの人手も必要だ。
 都議選で、供託金60万円とポスター・選挙ビラ代16万円の計76万円が返ってこなかった今の私にとっては非常に厳しい状況である。

 政治団体を立ち上げて、支援者から寄付を募(つの)れば不可能でもないが、それでも1000万円も集まるわけはないし、仮に政治団体を立ち上げたとしても、無所属で出て、何の色も付いていないことで得票できた私とは違い、籠池夫妻と親交のある押越氏など、独自の政治団体を立ち上げている人たちは軒並み1%を切るような大惨敗を喫している。

 豊島区議で、人気ユーチューバーでもあるくつざわ亮治氏が率いるテレビ改革党ですら、得票率は2%ほどであり、無名にも関わらず3%を得票した私一人に及ばない。
 

 今の時代、独自の政治団体や、街頭の路上パフォーマンスによる「悪目立ち」は、近年「ひんしゅく者」になってしまったN国党(=嵐の党)などの影響によって、全く票に結びつかないどころか、完全に票が逃げてしまい、逆効果なのである。
 また、デフレで国民が貧困化している今の時期に、山本太郎さんのように臆面もなく国民から寄付をもらおうという気には到底なれない。

 やはり選挙資金1000万円は、この2、3カ月ほどで、カイジが如く、自分で稼がなければならない。

 まして、財政出動を掲げた国民民主党とれいわ新選組は、億単位の政党交付金と強大な組織があるにも関わらず、都議選で一つも議席を確保できず、「新人・無名・無所属・支援者なし」の「四重苦」のこの私と同程度の得票しかできなかった候補者もいるなど、大惨敗を喫しており、道徳を否定した人権主義の流れに与(くみ)するこの二つの国政政党の大敗は、どんなに控え目に言っても、道徳を信条とする私の時代の訪れを予感させるものであろう(ちなみに国民民主党とれいわ新選組は、過去に私を公認しなかった)。


 無論、一回の選挙で、日本国民を貧困化させている麻生派の中心人物である大阪万博担当大臣、井上信治に勝てるとは思っていない。
 世襲で地盤のある森喜朗や、「選挙の帝王」である上田清司ですら、最初の国政選挙は負けている。
 あくまで数年後の議席獲得のための土台作りであって、井上信治より若い私が勝つには時間がかかるのだ。
 だが出なければ話にならない。

 幸い前回の選挙から西多摩の中ではネットの影響が強い都市部である昭島市が加わっている。
 

 事実、前回の選挙では麻生派である井上信治は昭島市で伸び悩んでおり、財政出動である私が多くの得票が期待できる貴重な自治体である。
 まして井上の乗った車が昭島市で人身事故を起こしており、重傷を負わせてしまった。
 

 三橋貴明氏などの財政出動の学派が大勢(たいせい)を占めるネットの影響が強い昭島市は、日の出、檜原(ひのはら)、奥多摩のように井上が盆踊りさえ踊っていれば安易に得票できるというやわな自治体ではない。

 選挙の詳細をここで書けばきりがない。
 ただ、私は衆院選出馬を目指してはいるが、仲間がなく、お金もない。
 それが正直なところである。
 だが選挙公報で「哲学者が西多摩から日本を守る!」と銘(めい)打った都議選で気は吐いたし、それなりの力は示せた。
 

 

 


■都議選に出なければならなかったもう一つの理由

 

  

 (写真左下から従兄、義理の伯母(従兄の母)、母方の祖父、母。左上が父)

 

 どこからの公認もなく、たった一人で都議選に出た理由の一つには、(写真左上の)父が昨冬にコロナに院内感染して他界したことが第一の理由であることは間違いない。

 

 だが、もう一つの理由がこの「写真」にある。

  

 私は皇統を守るために何としても奥多摩に行かなければならなかった。

 

  (中略)

 

 無論、皇統とは言っても皇室の男系とは直接的には関係ないが、一つだけ奥多摩とのつながりを言うと、皇室の最高齢である三笠宮妃百合子さまの父、高木正得(まさなり)子爵がこの地に眠っているためである。

   (中略)

 

 現在の皇室は後花園天皇(伏見宮家、在位1428-64)の流れを汲(く)み、つまり「伏見宮家」の皇統であって、竹田恒泰さんの流れと同じである。

 

 だが竹田家と皇室との男系のつながりは15世紀まで遡(さかのぼ)ってしまう。

 竹田恒泰さんは「明治天皇の玄孫(やしゃご)」というふれこみだが、それはあくまで女系の話であって、(中略)。

 

 大変大きな顔をしていて大変傲慢な人たちが多い現在の保守論陣、皇室ジャーナリストは、私から見て非常に物足りないが、男子が3人もおられた三笠宮家が断絶してしまったことが現在の男系を危うくさせている第一の要因であることは間違いない。

 

 テニスが得意であり、日本が初出場した98年のフランスのサッカーワールドカップを観戦された高円宮さまの死は衝撃だった。

 

 また、麻生太郎の妹の信子さまには男子のお子がなく、寛仁親王(高円宮さまの兄)も看病もされなかったという。

 そのため、信子さまと実子の女王二人は不和だという。

 そして、華族制がなくなったため、帰るべき家がない百合子さまと違って、「麻生家」という帰る場所があるにも関わらず、皇室と麻生家のつながりのためか、臣籍降下もされていない。

 

 ※2020年末の対外純資産は356兆9700億円

 

 

 新自由主義、水道民営化、緊縮増税、アフラック、ロスチャイルド家…。

 純粋に三笠宮家、引いては皇室の権威を政治利用されたくないのは、私の当たり前の信条だ。

 

 まして私の選挙区は、麻生太郎の右腕である麻生派のホープ、井上信治大阪万博担当大臣という因縁(オマケ)付きである。

 井上は、都議選の現職である田村利光を支援し、さらには私の住むあきる野市の市議選にも、秘書を二人も送り込んでいる。

 

 私には「皇室を守らなければならない」という使命感があったので、他の人とは比べ物にならないモチベーションがあったことが出馬の何よりの理由であろう。

 

 無論、私は日本と道徳も守らなければならない。

 

 そうした使命感は、三島由紀夫に引けを取るものでは全くなく、ただ一人であっても、X JAPAN の「ART OF LIFE」を胸に何のためらいもなく、戦えることができたのである。

 

 ここでスピリチュアル的なことを書くわけにはいかないが、単刀直入に言って、私は奥多摩に三笠宮妃百合子さまの父、高木正得(まさなり)子爵の慰霊碑を建立(こんりゅう)すべきと思う。

 

 高木子爵が死ぬ間際まで愛された奥多摩の地に。

 

 そのために私は都議選に出て、奥多摩の町中の要衝(ようしょう)に立てられた掲示場を、自分で探して回り、自分のポスターを貼っていくことで、私が生きているうちに、奥多摩町の隅々まで見て回ることができた。

 

 選挙期間の実に3日を奥多摩にかけたにも関わらず、奥多摩町ではたった13票しか得票できなかったが、私に投票して下さったこの13人の方は非常に貴重であり、日本の再生の始まり、きっかけ、出発点、最初の一歩であると認識している。

 

 日本の貿易収支は3832億円と好調なものの、五輪によって、コロナの感染が気温が下がるにつれて急拡大して、今秋、今冬に日本は終わるだろう。

 そして、少なくとも中国共産党が望むかたちで、五輪とSDGsによってテレビやネットを中心に堅固となった人権主義によって日本は解体、分裂、アトム化して、日本は終わるだろうという話をした。

 

 

 しかし、奥多摩は日本回復の一つの始まりでもあった。

 

 「日本の終わりと始まり。」


 ただ一人の味方もいない私の心持ちは、今そんなところである。


   

 

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