佐渡最北端の二ツ亀から南端に近い小木へ戻るのに車のナビで最短距離を選び山中、
東海岸のの道路を3時間ほど走り、観光名所で残していた、たらい舟の名所、囲まれて
波静かな矢島へ。 ただ陽が陰り初めて写真を撮り辛く、翌朝、フェリー出港前に訪れる
事にしました。
小さい島ですが矢島。戦国時代、弓矢の良質な矢竹が採れたことから
付いた名前。
古くより小木半島の人々の生活になくてはならない漁具であった半切り(たらい舟)。
望遠でお声も掛けにくいので、お客様の顔が分かるUPでは撮り辛い。
矢島は雰囲気は良いものの、道が狭く個人の車でないと訪れることが出来ず、
観光バスで訪れる場合は小木港ビルの手前の観光港スペースでのたらい船体験に
なります。 (もう一カ所、少し離れた宿根木にもあるとの事。)
10時35分発のフェリーで2時間半ほどの船旅で直江津港へ帰ります。
時間不足で見逃し地も多かった佐渡旅行でしたが、美しい海、当地とは異なる空や雲の
美しさを満喫させて頂き、、宿では地場の魚尽くし、美味しいお酒の夕食を頂くことも
できました。
以下は往きに訪れた北陸自動車道「親不知(おやしらず)インター」近くの親不知海岸。
フェリーの出港時間に少し余裕があったので訪れてみました。
「親不知(おやしらず)」は現在の新潟県糸魚川市青海から市振(いちぶり)まで約15㎞に
およぶ海岸線の総称。北アルプスの断崖と日本海の荒波が迫るなかを旅人は命を賭けて
通過しました。
波打ち際を駆け抜けるときは、親は子を忘れ、子は親を顧みる余裕がなかったからその名
がついたと言われます。
広重、「越後 親しらず」、江戸当時から知られていた北陸道随一の難所。
芭蕉の紀行にもあり、 加賀藩の参勤交代の時もこの海岸を通り江戸へ向かったそうです。
天下の険といわれた親不知にも、明治16年、断崖を削った街道が開かれ、その後
いくつかの改良を経て、昭和41年の国道8号天険トンネルの完成により使用され
なくなり、遊歩道として使用されるようになっています。
海岸沿いの道路、明治に開かれた道路、国道8号、北陸自動車と四世代の道路を
見渡すことができる地。
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