お茶屋屋敷跡は、徳川家康が上洛の往還にあたって、休泊のため慶長10年(1605)頃に
設けた専用の施設。ほぼ方形の縄張りをもつ城郭形式で、竹薮に囲まれた総郭内と、
薮外の馬場跡とがあり、四隅に櫓を備え、正面(東)に大手門があった。
金華山下の信長御殿を移築したと伝わる。
全体を土塁・空濠で囲んだ豪壮な構えであったようである。寛永5年(1628)頃には
その破損が著しく、大半が取り壊されて、やがて廃絶化した。
廃藩置県の後、赤坂宿の名主矢橋宗太郎が払い下げをうけ、広大な内部を畑地とした。
廃藩置県の後、赤坂宿の名主矢橋宗太郎が払い下げをうけ、広大な内部を畑地とした。
その後、昭和24年(1949)の中学校制度、建設に伴い遺構の西半分を校地としたため、
現在東半分に、土塁・空濠の一部・井戸跡などが遺構として残っている。
現在は、牡丹園として開放され、名所となっている。
現在は、牡丹園として開放され、名所となっている。
矢橋ホールディングスがお世話されています。 40年ほど前から度々訪れますが
手入れの素晴らしさに感心するばかり、駐車料金も入場料もありません。
牡丹のイメージは赤です。
ドウダン
オドリコソウ、多数群生。
シャガ
赤坂、金生山からの大垣、岐阜方面の景色。
左端かすかに金華山。 名古屋の駅ビル群まで望むことができます。
大昔、海が隆起してできた金生山、化石が豊富で中腹に大垣市化石館が設けられています。