中山道赤坂宿お茶屋屋敷の 牡丹園   令和4年5月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

40年も前からしばしば訪れる赤坂お茶屋屋敷の牡丹園です。
3月に入り春の訪れが早く、桜をはじめ花々の開花が10日から2週間も早く休日、
天気都合もありなかなか春の花々を楽しみきれません。
こちらの牡丹園も10日ほど早いと思われます。



お茶屋屋敷は家康が中山道を上洛の際の休憩所として慶長10年(1605)に完成した将軍家専用
の宿泊施設で、徳川家康・秀忠らが宿泊しました。
岐阜城下の信長御殿より60棟もの建物が移築されたと伝わります。

廻りには土塁や空壕が設置され、宿泊施設であると同時に緊急時の砦、城郭の要素も
あったという。
寛永年間(1624年~1644年) 赤坂 宿場の整備とともに必要なくなり、建物は取りこわされ、
昭和24年(1949年) - 中学絞建設に伴い遺構の西半分を校地としたため、現在東半分に。
赤坂の銘家「矢橋家」が牡丹園も含め管理され、入場料も駐車場使用料も取られない他、
牡丹園には散った花びらも落ちていないなど、管理のご苦労をいつも感じるところです。















































ボタン園の周囲の草むらに咲く野の花々も珍しいものです。


竹藪の中など一番群生が多いオドリコソウ。



オオアライセイトウ(大紫羅欄花)。




ハイキンポウゲ




ルリカラクサ









赤坂宿は、古くから杭瀬川の水運の渡し場として発展してきたが、転機が訪れたのは
皇女・和宮御降嫁による『お嫁入り普請』。街道沿いが大改修され、その一部は今
残っている。
(二階から嫁入り行列を見下ろしてはいけないとの家屋改修)

近くでは、1861年(文久元年)に皇女和宮が徳川家茂に嫁ぐ折、呂久川(揖斐川)を御座船で
渡った際に「落ちて行く 身と知りながら もみじばの 人なつかしく こがれこそすれ」の
和歌を詠んだという。このことを記念し、1929年(昭和4年)開園し歌碑もある呂久の
小簾紅園(おずこうえん)がある。
中山道妻籠宿には山越えのために運びきれなかった車付きの重い長持も残されているなど
中山道開通史上の大行事であった。10月20日に中山道を下り11月15日に江戸着。


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