恵那市上矢作 福寿の里 大平の福寿草  令和5年4月   | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

今年も春の妖精(springephemeral)を楽しみに恵那市上矢作大平を訪ねました。






今年は野の花々の開花も早く、集落の入口の受付で今年は少し早く満開です、お楽しみ
下さいと案内頂きました。

福寿草の咲くこちらの集落は昔は林業、炭焼き、狭い棚田の農業のみでしたが、現在、
家屋は3軒のみ。












福寿草は夏の日光に弱く、日陰の梅の木などの下、棚田の土手などに群生しています。












今から300年程前にこの地の先祖が長野の赤石山系より持ち帰り移植したとされる。




旧正月に合わせて咲かせるおめでたい花ですが、毒性が強いそうです。














イチゲソウ。











黄花セツブンソウ。



エゾネコノメソウ




キケマン




休憩、接待所があってお茶を頂きながら話に花が咲きます。







昨年は此処から山越えの国道418号を飯田へ向かい、妻籠(つまご)宿を訪れましたが
今年は中津川から中山道馬籠(まごめ)宿を訪れました。
 
中山道は中津川宿、落合宿から馬籠宿、山越で妻籠宿になります。








正岡子規が親友の馬籠が故郷の島崎藤村家を訪ねた時に読んだ句碑が
中山道沿いに設けられています。
















馬籠宿は、中山道43番目の宿場(中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町。

かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年(平成17年)2月の山口村の
越県合併により岐阜県中津川市に編入された。 (次の妻籠宿は長野県)

1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により、古い町並みは石畳と
枡形以外はすべて消失したが、その後復元され現在の姿となった。

桝形の水車。






桝形の上から残雪がわずかに残る恵那山。









お土産物屋さん。



島崎藤村の生家は馬籠宿の本陣であったが、1895年(明治28年)の大火で焼失した。
その本陣跡に1947年(昭和22年)再建。
その後、1950年(昭和25年)に、博物館運営のため財団法人藤村記念郷を設立。
1952年(昭和27年)には、藤村の長男である島崎楠雄から約5000点の資料を寄贈され、
長野県内の教員や小中高生の寄付を受け日本初の文学館として開館した







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