西美濃の桜 満開 大垣~薄墨桜 令和5年3月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

先週は土、日まで雨が降り続いていたのが、3月27日は雨が上がり、初めて満開の桜を
楽しめる日になりました。

大垣城西広場。




桜の美しさは青空に映えますが、真上や南方は、春霞か、黄砂か一面真っ白でした。

江戸時代に入り、徳川家康の家臣「戸田 氏鉄(うじかね)」は尼崎藩主から、
十万石の初代大垣城藩主へ移封されました。
その後戸田家が幕末明治まで存続。

 










お隣、郷土歴史館の枝垂れ桜。





桜の季節になると大垣観光協会主催で掘割でもある水門川で船下りが催されます。
船着き場は我が家から2,300mの場所。
人気があって乗船予約を取るのは難しいようです。






戦後まで揖斐川から伊勢湾への水運で栄えた川湊船町の奥、船溜まり。
人工滝が作られています。




滝の後ろから。













船町港には常時水運に利用された船が観光のため係留されています。
右上は川港灯台。




船旅30分程で終点、船町港。




奥の細道結びの地、船町の芭蕉像。










大垣から根尾の淡墨桜へ。
毎年のように訪れますが今年は満開。15年、20年前には大垣の桜が散った後、
4月10日前後が満開で10日ほど早くなっています。
大正11年に国の天然記念物に指定、彼岸桜の一種、うば彼岸。

右が樹齢千五百年の淡墨桜、左は大正2年に植えられた淡墨桜二世。







散る間際に花びらが薄墨色になるので淡墨桜と呼ばれるそうですが、
残念ながら実感したことがありません。




裏側の高台から。





 樹齢の凄さを感じる幹。穴の開いた幹の間から反対側の光が見えます。








訪れた前日まで続いて雨模様、一時間ほど楽しんで帰る頃に国道は訪れる車で大渋滞でした。

淡墨桜の地から残雪を抱く能郷白山。





いつも根尾川左岸の国道ではなく、右岸の山道の県道を通ります。








根尾川の鉄橋。




数年前高科駅の観光看板で偶然見つけた土岐頼芸の墓所へ再び訪れました。

私の故郷、岐阜城の北方、大桑城を斎藤道三に攻め落とされ、その後は各地を転々とし、
信長の甲州征伐時、武田氏に身を寄せていたところを発見され、稲葉一鉄の計らいで
この地に戻り、半年後、天正10年(1582)、81歳で亡くなったとされる。

子供の頃400年も経た時点でも年寄りからは「土岐の殿様」と崇められていましたし、
この地でお二人のお年寄りに墓所を訪ねた時も、「土岐の殿様の墓所をお探しですか」と
丁寧に教えて下さいました。今読む歴史上の人物とは異なった面があったのでしょう。








朽ちて読めませんが、法名は「東春院殿文関宗藝大居士」。





 




桜の開花時期、天気模様、休日と、なかなかベストのタイミングでの出会いは難しい
所ですが、今年は有難い1日でした。
昨日、本日、桜や船下りを楽しんだ方々が大勢、私共の店を訪ねて下さいましたが、
桜の美しさや静かで穏やかな大垣の地が素晴らしいとお褒め頂き、
遠い方は札幌から、北陸、静岡、名古屋や三河の方々までお会いしました。


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