静岡 御前崎灯台と掛川城を訪ねて   平成29年8月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         



今年は7月から快晴がほとんどなく、湿度も高くて梅雨明けしたという実感もなく、山の日も
旧盆も過ぎてしまいました。

日本各地で過去に経験したことのない、局地豪雨災害が多発しています。

例年はこの季節、山歩きをして景色の壮大さ、高山植物の花々の可憐さを楽しんでいますが、
野山へ出かけられません。



少雨のこの日は静岡西部の御前崎、掛川城へ出かけました。


まず御前崎灯台。
















1874年(明治7年)5月1日に初点灯されました。







御前崎最南端に立つ、白亜の塔形をしたレンガ造の大型灯台で日本灯台50選に選ばれている
ほか、歴史的・文化的価値の高さから、Aランクの保存灯台に指定されています。

1957年(昭和32年)の映画、木下恵介監督の「喜びも悲しみも幾歳月」のロケ地として知られます。

三浦半島の観音崎灯台を夫婦での初任地として、小樽の日和山灯台まで11の灯台を転々とする
物語です。


小学校の講堂で開かれた巡回映画へ母と出かけ、ストーリーまではよく覚えておりませんが、
教員をしていて、映写技師の資格を持っていた父がフィルムの掛け替えをしていたことも
懐かしい思い出です。





今でもラジオやTVからこの歌が時々流れてきます。



灯台下から望むと遠州灘は雲に包まれていました。
灯光は10秒ごとに白色を閃光し、36kmまで届くそうです。

















掛川城は永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、永禄11(1568)、
義元の子、氏真(うじざね)が掛川城に立てこもりましたが、翌年家康が開場させ、家康の領有と
なりました。
天正18年(1590)全国平定を成し遂げた秀吉は家康を江戸へ移すと、掛川城に山之内一豊を入れました。

一豊は城の拡張や城下の整備を行い、初めて天守閣を造りました。
関ケ原戦後、慶長6年(1601)、掛川から土佐に移封となり、慶長10年高知城にて病死しました。

子供の頃から実家の系図の先祖は山之内一豊と祖父や父から聞かされておりましたので何か
ご縁を感じます。 (百姓侍の家系ですが)

















城内の山之内一豊像。





天守最上階から掛川市内。東海道新幹線が走っています。





貴族的な美しさをもつ掛川城は「東海の名城」と謳われましたが、安政の東海大地震(1854)に
倒壊し、明治2年に廃城、平成6年に140年ぶりに木造にて再建されました。

ただ真下の御殿は同じく東海大地震で倒壊しましたが、文久元年(1861)に再建され、昭和55年には
国の重要文化財に指定されました。





























数十年ぶりに再び訪れることができた御前崎、掛川でした。




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