関ヶ原合戦の陣地を訪ねて  平成26年8月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         


8月上旬、NHKBS歴史検証番組で、関ヶ原合戦時、徳川家康、石田三成、小早川秀秋の

動きに関する討論が静岡文化芸術大学磯田准教授を中心に放映されていました。


過去、何度も関ヶ原合戦の地を巡っておりますが、小早川秀秋の松尾山(293m)の陣地は

訪れたことがなかったため、今一度訪ねてみました。










関ヶ原合戦前日、三万の兵を率いて家康が大垣市北部、岡山の安楽寺に陣を張りました。








小山の安楽寺からは大垣から養老を一望できます。


安楽寺の梵鐘は石田三成方が兵士の鼓舞をはかり、また合図に利用するため

兵庫から持参したものを関ヶ原戦後の戦利品として家康がこの寺に寄進したもの。


後に岡山は家康の勝利を祝って「勝山」と呼ばれるようになりました。

山は安楽寺の広大な敷地で私達もお勝山(おかちやま)と呼び親しんでいます。






関ヶ原は山に挟まれ今でも旧中山道、国道21号、名神高速、JR東海道線、東海道新幹線など美濃と京をつなぐ交通の要所。








9月15日開戦日早朝、家康は岡山から関ヶ原の桃配山に移動。


ここ桃配山は672年に起きた壬申の乱のおり、大海人皇子(後の天武天皇)がここ不破の地に出陣して名産の山桃を全兵士に配り戦いに快勝した縁起の良い地でもあり。















桃配山は100mほどの低い山ですが関ヶ原をすべて望むことができます。





こちらは石田三成の陣地「笹尾山」、14日の夜6千人の兵を率いて大垣城を出てこの地に

陣を張りました。










笹尾山からも関ヶ原を一望できます。



すぐ目の前が主戦場跡






軍勢六千を率いた福島正則の陣跡。









小早川秀秋が陣を張った松尾山(293m)は山裾から40分ほどの山登り。





雲に包まれた伊吹山もすぐ近く。

一万五千の兵がこの山で戦いに備えた。





松尾山からは関ヶ原を一望でき、3キロほど離れた笹尾山の光成軍、福島正則軍、

こちらも3キロほど、桃配山の家康軍など手に取るように見えたはず。

秀吉の正室ねねの甥、後、秀吉の養子、毛利元就の三男、小早川隆景の養子であり

西軍の重鎮であった。 事前に家康への寝返りの密約があったが思い切れないところを

桃配山の徳川陣地から鉄砲を撃ち込まれて決断して西軍を攻め一気に東軍の優位を

決めた。

まだ大砲もないこの時代、火縄銃の大型でも3キロを玉が届いたであろうかとも思われ

ました。


このとき百戦錬磨の家康59才、光成41才、秀秋21才。

先のTVでも光成は軍師と言うよりは戦場の物資調達などに長けた人物で家康とは戦の

格が違うと言うような解説もありました。







15日午後2時には家康、桃配山から最後の陣地に移動。

この地で敵軍の首実検を行ったと伝わります。


諸説ありますが、参戦者数は 東軍7万、西軍8万 計15万人。戦死者は6~8千人と

いわれおよそ5%程。





10年前頃訪れた時にはどの地も訪れる人などなかったのですが、昨今の歴史ブーム、

大河ドラマの「軍師官兵衛」の影響か、夏休みでもあり大勢の人で賑わっておりました。

多くの方々に歴史共々興味を持って頂き、この地に住まう私共はたいへん有り難く、

うれしく思われるところです。




垂井町、竹中半兵衛の菩提寺、墓処はこちら


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