本年は5月12日、13日に大垣祭りが開催されました。
大垣まつりの軕(やま)の起源は、慶安元年(1648年)に大垣城下町の総氏神であった
八幡神社が、初代大垣藩主戸田氏鉄公により再建整備されたおり、城下18郷が喜びを
神輿3社の寄付で表し、大垣10か町が10両の軕を造って曳回したのが始まりと
いわれています。
延宝7年(1679年)、藩主戸田氏西(うじあき)公から、「神楽やま」「大黒やま」
「恵比須やま」のいわゆる三両軕を賜り、それを機に10か町は、軕の飾りつけに
趣向を凝らしていきました。
濃尾震災や先の大戦によって多くの軕を失いますが、その後、修復や復元、購入
などにより再建が進められ、平成24年に残る2両となっていたやまが復元され、
今年は70年ぶりに全13両やまが勢揃い、華麗な元禄絵巻を繰り広げました。
私共の店は八幡神社から100メートルほどの近くで前をすべての軕が練り歩いて
くれます。
ただ年に一度、大垣市内の人々皆が訪れるような人出で一年中で一番の忙しさ。
店から離れたことがなく、写真を撮るのも店の前が精一杯です。
店のまわりで抹茶アイス・グリーンソフトを召し上がるお客様が絶えません。
大垣祭りに併せて、私達の町内がお世話する、八幡神社境内の奈良の龍田神社、
広瀬神社の分社の例大祭でもあり、龍田神社からは宮司さんをお招きして祭礼が行われます。
恒例子ども御輿も町内を練り歩きます。
今年復元された一つ浦嶋軕。
今年新調された布袋軕、まだ漆塗りがされておらす生地のまま。数年経って
生地が落ち着いてから漆塗りを施します。
別名・御払軕または市軕。練り歩く際には常に先頭を行きます。
以下の三両が戸田城主から賜った三両軕。
すべての軕が笛、鐘、太鼓を奏でながら、合いの手を入れながらで
車輪の豪快な音とともににぎやかな練り歩きです。
闇もせまる頃、軕には提灯が点され八幡神社前で奉芸をした後引き別れになります。
恥ずかしながら30数年にしてはじめて見た宵宮でした。
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