昭和20年7月29日、米軍B29による爆撃により大垣市内は
民家も大垣城も寺も神社もすべて焼失しました。
空襲で亡くなった人は大垣では100人ほど。
その前7月24日には、長崎原爆投下の訓練として同じサイズの
1トン爆弾が近くに投下され、亡くなった人は10人。
大垣空襲で亡くなられた方達の慰霊祭が毎年行われています。
私は祖父が空襲が原因の大やけどで亡くなっており、
亡父は大垣市や全国の戦災死没者遺族会の理事長まで務めたことから
主催者のお手伝いでした。
戦災死者の兄弟、子供達の参列、主催者は殆ど80歳を超えた
方ばかりで私がたぶん最年少。
大垣市戦災死没者慰霊碑
大垣市長の献花
遺族の献花
テントのうえの銀杏にはぎんなんがたわわに実っていました。
日本国民は3百万人とも言われる戦死者があっても米国を恨むことなく六十数年を
迎えましたが、韓国や中国はいまだに日本政府に戦争責任でせめたてます。
先の地震に対する対応の違いなどでも、同じアジア人であって人間性の違いを考え
させられるこのごろです。
8月15日には東京の武道館で天皇、皇后両陛下をお迎えして先の大戦で亡くなられた
方々の慰霊祭が催行されます。
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