京都十二薬師2番 教王護国寺 東寺真言宗総本山 | お寺と神社と、、、たまに御朱印と

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元「そうだ、御朱印をもらいにいこう」ブログです
また、ぼちぼち更新していきます

京都十二薬師の第2番は東寺、教王護国寺です。

 

言わずと知れた四国八十八か所お遍路のスタート地点でもあります。

これは所説あるようですが、自分的にスタートが東寺でゴールは高野山と決めてまして・・・

御本尊は薬師如来なんですね。

国宝仏がいっぱいあるので、どれが御本尊なだか・・・

どの仏像も他のお寺にもっていけば御本尊でしょうに

たぶん、このブログでの登場も2回目?

思えば年3~4回はお伺いしています。

なぜか?

自称、自分の仏像が何点かありまして、

例えば

ここ東寺の五大明王像、梵天、帝釈天像

興福寺の天燈鬼・龍燈鬼、北円堂の無著・世親像

東大寺戒壇堂の四天王像

などなどですが、これらの所有者は自分だってことにして、それぞれのお寺に預けてあるということにして機会あるごとに見に行くという・・・

ほとんどペーパーオーナーゲームですね。

そもそも、いくらお金を積んでも買えるものじゃないし、保存もできないし、妄想はタダですしね。

この日は(と言っても1年前ですが・・・)とってもいいお天気

東寺は、もう有名すぎるお寺で、、、語ったところで語れるものでもないので、この日は以前から行ってみたいと思っていたところに足を延ばしてみました。

 

まずはここ

わかりますかね。

東寺から西へ5分ぐらい?

噂通り公園のなかにその跡地がありました。

そう、羅城門あとです。

通りで言うと千本通りですかね。

旧平安京の真ん中だったところですが、今の真ん中は感覚的に烏丸通りでしょう。

どうしてズレたんでしょうねぇ。。。

ネットとかで調べたれすぐに出てくる答えでしょうけど。

当時はどんな通りだったんでしょうね

 

さて、羅城門まで来たら当然もうすこし西に行ってみます。

 

そうそう、この公園。

とても整備されています。

 

もう名前のまんまですが、西寺跡です。

公園の丘のてっぺんにその碑はたっていました。

歴史の勉強をすると、東寺と西寺が羅城門を挟んで対をなしていたとあります。

西寺は、、、どんなお寺だったんでしょう。。。

どうしてなくなってしまったんでしょう

嵯峨天皇は東寺を空海に、西寺を守敏に賜ったとありますが

守敏って誰?

って思いますよね。

おそらくは東寺と同じぐらいの敷地があったと思われますが、なくなるほど寂れますか?

などなど、疑問はわくばかり。

また今度行くときは、しっかり予習してから行こう・・・って思ったけど、なんにもない公園だし行くかな?

 

と、いうことで

京都十二薬師第2番 教王護国寺でした。