因幡薬師さん
このブログ2回目の登場ですかね。
場所的に、何度でも・・・って感じになってしまいます。
以前、日航プリンセス京都に泊まった時に、下を見てあのお寺っぽいのはなんだろう?
と、早朝の散歩がてらに覗いてみたのが最初でしょうか
もう、20年近く前のことになりますが、、、
その後身内の病気などがあり、ここが因幡薬師さんだと気づいたわけです
ガン封じのお寺や神社は意識してみるとけっこうあるもので、特に薬師さん巡りになると、基本それがメインって感じになってます。
このお寺、創建は1003年、少将橘行平が因幡の国への赴任を終えて帰京しようとしたところ、突如の病になりました。
病床の夢に僧侶が現れ、「因幡の国のどこそこに浮木があるからそれを祀れ」と言われ、発見した浮木が薬師如来さんであったという話し。
まぁ、由緒はそれぞれですが
この橘氏、源平藤橘の橘ですね。
源平は天皇家を始祖とする家系だけど、藤橘は外孫のグループになるのかな?
このあたりも調べてみたらおもしろそうですね。
先にも書きましたが創建は1003年、因幡堂と名乗りました。
その後、1171年に高倉天皇から平等寺の寺号を賜ったとあります。
そう、因幡堂の方が先なんですね。
また、高倉天皇が・・・
どうも後白河法皇が元気すぎて、すごく幸薄いイメージなんですよねぇ
後をつぐ安徳天皇も不運の代名詞みたいな感じだし
トップが切れ者すぎると、後継者が困るの典型的な図柄でしょうか。
そしてこちら、京都十二薬師霊場のほかにも、洛陽三十三観音霊場や京都十三仏霊場でもあり、今後も何度か登場しそうです、、、
お堂から正面、南に抜ける通りは、高倉天皇の御所であった五条院がお寺のすぐ南に位置していたので、
南の門は閉じたままにしていたことから「不明門(あけず)」と呼ばれる通りだそうです。
易学教室???
興味深い・・・
次回は2番札所、東寺の予定です。