昔は、よく使われていた言葉。
今は、あまり聞かなくなった言葉。
私自身、守られて生きるってのは、自由が奪われ、窮屈な気がし、経済的に自立するってことを目指し、先生になった経緯もある。
でも、古民家で暮らしていると、昔からの「妻子を守る」って言葉の意味が、反発じゃなくて、感謝と共に理解できるようになった。
ここでは、私一人じゃ生きていけない。
家のお世話ができない。
本当に守ってもらって、ここに存在している。
昨夜も、夜中に大雨で目が覚めると、下でガサゴソ音がする。
夫が見回ってくれていたみたい。
屋根のやっさんのおかげで、雨漏りはしてなかったみたいだけど、トイにたまった落ち葉などをとってくれていたみたい。
私も、いざとなったらできるんだろうけど、ありがたく、夫にやってもらってる。
まぁ、古民家で暮らすのを強く願っていたのは夫だからと言えばそうなんだけど、でも、こっちに来て4年、よくしてくれている。
ずいぶん過ごしやすくなったしな…(慣れただけかもしれんけど)
「妻子を守る」って思って、今も生きている男の人、多いのかもしれないし、それが負担になって結婚に足踏みしている人もいるのかもしれない。
今は、経済的なことを指すことが多いから。
男性にとっても、生きにくい気がする。
古民家に暮らしてみて、実際に男手の方が適していることがたくさんあるのを実感すると、運命共同体やなぁとよく思う。
そして、結婚の中に「妻子を守る」って意味が入っていたことが理解できる。
いろんな意味で、「自立して生きていく」って、思っていた私の心も柔軟になっている。
それも、年をとっただけなのかもしれないけど。
結婚って、運命共同体。
そんなことを強く思う古民家暮らし。
悪くない。
雨のため、水が上がってきたコンクリートの土間は、相も変わらず嫌だけど…。
No.1452