そして、地域の住民が学校存続の要望書を出していることも。
私が気になったのは、福山市の教育委員会が、
「クラスに一定以上の人数がいなければ、子供同士が議論を深める探究型の学びを実現できない」
と、説明していること。
それは、どうなのかなぁ、と。
うちの息子の学校も、人数が少ない。
長男の学年は6人、次男の学年は8人である。
そして、3、4年は、複式である。
でも、ちゃんと、探究型学習できているんじゃないか、と、私は参観に行ってて思う。
一人ひとりがちゃんと考えているんじゃないだろうか、と。
多いと、発表しない人がいても授業は進む。
でも、少ないと、一人ひとりが考えて発表しないと授業が進まない。
つまり、そこにいる全ての子がかんばるしかなくなるのだ。
誰にとっての探究型の学習なのか。
クラスの中でハキハキと自分の意見を言うことができる子は、多くの人数がいても臆せず述べることができる。
そういう人達がばぁっと話し合えば、探究型の授業が成立しているように見える。
でも、本当に「全員」に力がつけてやれるんだろうか。
私はそう思わない。
だから、私は、一人ひとりが話さなければ授業が成立しないくらい少ないうちの息子の学校が好きだ。
どの子も当事者として授業に参加する必要があるから。
授業をみていて、自分の意見がしっかり言える子が多いことにいつも驚かされる。
それは、本当にすごいことだと思う。
また、グループ活動においても、多数の子どもがいた場合、グループの数も必然的に多くなり、教師が限られた時間内に全てのグループをしっかりみるのは不可能だ。
(だから、しっかりやろうとすればするほど教師の残業は増える。)
学校は、全ての子どもが自分の意見を持てるような働きかけをずっと研究しているんだろうけど、実際はなかなか進んでいないように感じる。
ただ、これだけの人数に先生達がこれだけいてくださることが贅沢なことだと常に思っている。
だから、町の財政がたちゆかなくなって、
「島に小学校はひとつにする」
と言われたら、仕方ないのかな、とは思う。
「子どもにとって」
と、言われたら子どもにとっては、少人数は決して悪くないと、私は思うが、
「財政的に」
を前面に出されたら苦しい。
でも、今回の記事のように、もともと町だったところが、市町村合併で合併して、元の町にひとつも学校がなくなっちゃうのか、と、思うと、つらいよな。
特に、島だけに。
もうひとつは、山の学校だった。
少人数には、少人数の良さがある。
私は、自分が少人数の学校で働いていたこともあるし、わが子がそこで学んでいて良さをものすごくよく知っている。
だからこそ、がんばってほしいな、と、思った。
調べてみると、がんばっている記事が色々出てきた。
興味のある方はどうぞ。
地域の人がだいじに思っている学校って、それだけで、ものすごくありがたくて価値のあることだと思うんだよな。
(それは、昔むかーし、今は廃校になった少人数の学校で働いたことからもよく知っている。)
No.1418