「『授業のふりかえりで、思ったことや感じたことを書いてほしい。』って言ったら、『…にびっくりした』と書いている子がいてねぇ…、」
みたいな話をしたら、夫に、
「かずえさんが、そういうことを書いてほしいと言っているから書いたんじゃないの? ぼくは、子どもの時、親や教師が望んでいることを言ったり書いたりするような子だったよ。」
と言われました。
そういや、大学の講義の終わりに、私が、
「えっ?」
って思うようなつまらない授業の感想にすばらしいこと書いていた人、いっぱいいたもんなぁ。(先生の気に入った感想は、読まれるシステムでした。)
当時は、
「この人、あれからこんなこと思ったんだぁ。へぇ。」
なんて、不思議な気持ちで眺めていたのですが、ひょっとしたら、夫のような先生に気を遣うタイプの生徒さんだったのかもしれないなぁ、なんて、思いました。
でも、もし、そういうことが得意で、人の顔色ばかり見て生きてしまったら自分がなくなりますよね。
私は、幸い、好きなことは好き、嫌なことは嫌だけど必要ならしゃあないしするか、みたいな感じで素直におっきくなり、そのまま現在にいたるんですが、夫と話していて、そっちの方が実は、少ないんだろうか、と、思いました。
心配になって、子どもらに、
「あんたら、お母さんに話すのに、考えてる?」
と、聞くと、
「考えてへーん。」
と。
「だから、時々、『それ、とっても嫌やわ。』とお母さんに言われるんよね。家では失敗したらええしね。」
と伝えました。
夫と話をして、改めて、
「ふりかえりで今日の授業の感想を書くときには、自分の心がどう思ったのかを素直に書く練習をしてくださいね。」
と、伝えようと思いました。
私は、自分の思いを伝えたくなる先生には、ちゃんと書き、そうじゃない先生には、さらっと書くような子どもでした。
思いを伝えたくなるような、この人には思ったことを率直に書いても否定されないと思ってもらえるような人間にならないといけないんだ、と、改めて思いました。
自分が感じたことに敏感な子ども、自分の感性を表現できるような子どもが増えるといいな、と、思います。
だって、正解のない世の中に生きる子どもたち。
正解のないことを書く習慣って、だいじですよね。
「自分の気持ちがより相手に伝えられたら○」
「先生がどう思うか。」が、先にきちゃう子どもは、まず、自分の思いに気づくところから、なのかもしれないな。
No. 781