これは、下の子は、上の子のしていることを常に観察できるからだろうと思っていたのですが、うちの次男を見ていて改めて思ったので書くことにします。
先日、長男に買い物メモを書いてもらった話を書きました。
どうも、それがとても魅力的な活動にうつっていた次男。
自分のLaQの作品をこわされないように置くために、メモを書くと言い始めた。
それには、紙が必要で、鉛筆が必要で、こどもチャレンジのひらがなタッチが必要(ひらがな表がある)で、と、このあいだ使っていた物を嬉々として用意し始めた。
そして、「ら」だけなんとなく書いた後、「きゅ」が難しくて書けなかったのであきらめて私に頼んだのだが、どうやったらメモが書けるかということをしっかり学んでいた。
そして、それをたてて置くんだと言って、洗濯バサミを自分で用意し、立ててみると上手くいかないので、また、少し私が助け、完成*(^o^)/*
次男の一連の動きを見ていて、
本当に生きる力があるなぁと関心(*^^*)
上の子は、あれこれ仕組んで育てているが、下の子に仕組むことはほとんどしていない。
でも、勝手に学ぶ。
この「勝手に」
というところが、主体的になるポイントなんだと思う。
「あれかっこいいな。」
「やってみたい」
そういう思いが湧いて、行動に移す。
そういうことが日常生活の中でいたるところにあるんだと思う。
次男は、何をやっても長男に負けるので、しょっちゅう悔し涙を流しているけれど、そういうことも大切なんだろうな。
「負けん気」を育んでいるんだろうな。
そんなことを感じた出来事。
では、今日も一日、よい日でありますように(*^^*)
No.223