子供は伸びたいように伸びていく | うさぎのきもち

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日常の中での気付きや感動を綴ります。

あさイチで、内田也哉子さんのプレミアムトーク聞いてたら、
「子供は自分で見つけて、考えて、育つもの」と改めて思った。
親がいろいろ言ったらつぶれてしまう。その子が伸びたいように伸びていくもの。
その子にとって何がいいかは、本人しか分からない。
親が、「この学校がいい」と思ったって、本当にそれがその子の人生においていいかどうかは分からない。

親が道を作り上げて、その通りに進ませるのに必死になるなんて、
なんか馬鹿げたことのように思えた。
その子にはその子の個性や才能があって、人から言われなくたって、自由にしておけばそれを伸ばして、開花させていくはずで、親がやることは、それが咲きやすいように水や肥料をあげたり、開花するときにその方向を調整してあげたり(人目につくようにとか。社会で生きていくための工夫として)、そのぐらいなんじゃないか。

私が、〇〇中学がいい!と思ったって、それは、私が今中学生だったら入りたい、という話であって、
子供本人にとって本当にいいかどうか分からない。
その子の性格からして、のびのびできるか分からない。

也哉子さん自身が育ってきた様子や、也哉子さんの子供たちの様子を見ていて、そう思った。

世間的に"いい学校"に入っても、それが本人にとって楽しいかどうか分からない。
楽しい、というのは、本人がのびのび力を発揮できる、ということ。
あれやれ、これやれ、と言われて、苦手なことをやらされて劣等感を感じてつぶれてしまうことだってある。

ひとつひとつの学校や人を、「評価」の目で見ないこと。
「評価」というのは、あくまで、自分軸だから。自分の個人的な観念や妄想に基づくものだから。
自分がその能力を持っていないから、それに憧れているから、コンプレックスがあるから、
それを身に着けなくちゃ、と思っている。そしてその能力を子供に身につけさせなくちゃ、と思っている。
それは私の思い込みに基づくものだから。

無理に誘導しようとしない。
誘導したい!と思っちゃうから、私が焦るんだ。
その焦りが子供に伝わって、子供にやりたくない、と思わせてしまう。

「この学校に入れたい!」という気を捨てよう。
そう思ってしまうのは、多分私自身のためだから。私自身のプライドだから。
それは、子供にとって合うものを選んだり、子供が自然にのびていくことを邪魔する。
究極、子供はどんな環境でも自分が伸びたいように伸びていく。
できるならば、それをなるべく邪魔しないでアシストする環境にいられるのがいい。
苦手なことを叩き込まれる環境が、本人にとって幸せではないし、のびのびできる場所ではない。

今の私は、子供が苦手なことを仕込むことばっかりやっている気がする。
伸びることをアシストするんじゃなくて。
子供を縛ることばっかりやっている。

窮屈な人生はやめよう。
伸びたいように伸びられる環境を、子供に与えてあげたい。