自然な流れを信じるということ | うさぎのきもち

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日常の中での気付きや感動を綴ります。

いつからか、相手の顔をしっかり見て会話するのを避けがちになっているところがある。
仕事関係の人、話しかけてきたカフェの店員さん、親、もしかしたら夫も…

会話が止まるのが怖い
次何言ったらいいか分からなくなったときの空気に耐えられない
こちらの反応として、どんな表情をしたらいいか分からない
どうやって会話ん終わらせたらいいか分からない
長々話されたらいやだ
… 無意識にそんな気持ちがある。

でも、ふと今日、
なぜかしっかり相手の顔、目を見た
こちらの表情を真正面から相手に向けた
そうしたら、なんか楽しく会話が続いて、
自然な成り行きで終わった
ほんの数秒、数分
会話を楽しもうという余裕があった

顔を作らずに、
感じた通りの自然な反応をして、
知りたいと思ったことを自然に質問して
会話を続けようとも、やめようとも思わず、
ただ話の中身と相手が言おうとしていることにフォーカスして
自分がどう見られてるかのフォーカスを外した

最初から逃げてると、そもそも会話が続かない
逃げてると、それが必ず相手にも伝わって、
変な空気が流れてしまう。

話というのは自然に収束する
収束したらクローズすればいい
意図的に長々話す人、話すために話す人には、
こちらから閉じてもいい

話が終わったのなら、話を止めるのは、別に変なことではない


波に乗る
成り行きに任せる
自然な収束を信じる
自然な流れを楽しむ
すべてコントロールしようとしない
どこに行き着くか分からないことを楽しむ
どこかいいところに漂着できることを信じる

年取ってきて、
保守性、心配症が増してきて、
自分でコントロール利かない予想外の展開が
怖くなってきたのかもしれない。

自分でコントロールし切るより、
もっと、思いもよらない楽しい展開があることを
信じる。
信じて、ちゃんと真正面から、波に乗る。