焼鳥の戦前史 2021年6月3日 Ver.2.01 改訂内容
・全体
焼鳥の戦前史 焼鳥資料集に以下の資料を追加
19269
1935B
19562
焼鳥の戦前史 ホルモンと食資料集に以下の資料を追加
1936
『僕の東京地図』(サトウハチロー)
1937
「私販京都図絵」(水上勉)(『新編水上勉全集第14巻』)
1937
朝日新聞東京6月23日、読売新聞7月27日のホルモン牛乳の広告
「メモ:焼鳥をめぐる諸説について」を第二章の後に追加。
最後に「改訂内容」を改訂履歴として追加
・第一章
・1.詩人、焼鳥屋になる
”新宿の焼鳥屋宝来家は、昭和22年に闇市の屋台として創業した。”
→屋台ではなくバラックで創業。
・2.焼鳥はなぜ、串に刺すのか
”焼鳥や串かつの屋台に「使用済みの串入れ」なるものは存在しないのだ。”
串かつの屋台において串入れがあるケースが一つ発見されたため以下のように変更
→焼鳥の屋台に「使用済みの串入れ」なるものは存在しないのだ。
・4.鳥屋の勃興
明治時代に鳥屋が多かったことを示す資料として「飲食と生活」(宮本常一)(『明治文化史12生活編』)、『下谷生れ』(小島政二郎)を追加。
”しかも、その格式の高さも江戸時代から引き継がれていた。鳥鍋を出す店=鳥屋は牛鍋を出す店=牛屋より高級な、上中流階級が通う店とされていたのである。”
→削除 「煉瓦時代の銀座」(永井小石)(『史談明治初年』 同好史談会)に、明治初めの鳥屋は殺風景であったとの証言がある。かわりに”明治時代後半ともなると鳥屋といえば高級な店を意味するようになる。”の一文を追加。
”トリ鍋は上等、ギュウ鍋は並等、ケトバシは下等ときまって”いたという川口松太郎の証言を追加(破れかぶれ 川口松太郎 『川口松太郎全集第十三巻』)。
・6.焼鳥の肉の変遷
19269の事例追加により、昭和(戦前)の豚の内臓肉の事例数に1、牛の内臓肉の事例数に1を追加
・8.豚肉とその他の肉の供給量の推移
次の文を削除。明治30年代にある程度中華料理が浸透していたため。
”まず豚肉と言えば中華料理だが、明治30年代後半時点では、中華料理はさほど普及していない。明治30年代後半には神田に中国人学生を主な顧客とする中華料理店が複数できているが、豚肉消費を押し上げるほどの規模はなかった。”
明治30年代後半に店舗形式の一品料理屋が増えていったという記述を追加。
明治30年代にある程度中華料理が浸透していたという各種資料を追加。
・メモ:焼鳥と酒
偽ウィスキーの愛称について『明治語録』(植原路郎)を引用
・メモ:鰻の串焼き
「プロが食ふ淺草」(本間一咲 『食道楽 昭和6年7月号』)、『味の散歩』(秋山徳蔵)の引用を追加
・第三章 戦中・戦後の東京における焼鳥
・3.ホルモンブームの終焉
”従って、チキンラーメンに鶏の睾丸エキスが入ること自体は問題はないが、チキンラーメンを食べると精力が増強し生理不順が治る、と言って宣伝することはできなくなってしまったのである。効能がアピールできなければ、睾丸入ラーメンは単なるゲテモノでしかない。”
厚生省のリストに鶏の内臓が含まれていないため、以下の文に変更
→”食品に内臓肉を使用することは問題ないが、精力が増強するとか、若返るとかの効能をアピールすることはできなくなったのだ。”
”ただし、なぜか「厚生省通知」では鶏の内臓肉が規制対象リストから外されているので、鶏の睾丸が入っているチキンラーメンが強精若返り効果をアピールすることは現時点では問題ない。おそらく厚生省の単純ミスと思われるので、本気で睾丸入りラーメンを宣伝し始めたならばこれも規制対象リストに追加されるとは思うが。”
・第四章 東京以外の焼鳥
以下の文章を削除し、「メモ:焼鳥をめぐる諸説について」に移動・統合
”焼鳥資料集にあるように、東京にも野鳥の焼鳥は存在した。創業明治11年の雑司が谷鬼子母神境内の蝶屋が有名だ。”
”食文化史研究家の大塚力は、”戦前には、やきとりといえば、小鳥の焼いたものを一般にそういっていた”(『流行衣・食・住』)と主張するが、そのような事実はない。東京で焼鳥といえば、大正時代から昭和時代の終わりまでは豚牛の内臓焼、とくに豚のそれを意味していたことは、今まで提示してきた資料から明らかである。”
”そして豚牛の内臓焼は、下層労働者向けに鳥屋の廃棄物(腸や骨など)を串焼きにして焼いた屋台の焼鳥の模造品、食品偽装がその始まりであり、野鳥の焼鳥とは関係ない。焼鳥が上中流階級に広まった昭和初期に、一部の高級焼鳥店で野鳥の焼鳥をメニューに加える例があったくらいのものだ。”
・メモ:大阪のホルモン
・1.じゃりン子チエのホルモン
”じゃりン子チエの舞台は大阪市西成区にある萩之茶屋周辺”
→じゃりン子チエの舞台は大阪市西成区にある萩之茶屋駅周辺
・2.闇市の「ホルモン焼き」はどこからきたのか
どて焼きの事例として『無資本成功法』(国吉嘉川)を追加
・付録:クリスマスにはなぜチキンなのか
・5.大人は夜の繁華街に
”東京朝日新聞昭和11年12月25日は、カフェーで怪しげな紙製の帽子をかぶって酒を呑んだり踊ったり散歩している男女の姿を報じている。”
→実際の記事の内容を引用