鍼灸・セラピー いやしろ タオのつぶやき ーうつ病からの脱出ー -34ページ目
今回はこのテーマの第2弾です。
著書『心の病に薬はいらない!』から下記抜粋します。
四つ目としてプラセボ効果(思い込み効果)の問題がありますが、どんな物質でもこれが出るのをどうとらえるかということです。
実際の研究では向精神薬の効果はプラセボ効果以下なので論議にも値しません。向精神薬を授与した治療がプラセボ効果以下であるという研究は無数に存在しますが、それを精神科医が認めることはほとんどなく、探すとしてもインターネット内を探さないかぎり見つからないのが今の世の中なのです。
また向精神薬でさえもよくなる数少ない人の中で、向精神薬に他の問題がないかどうかの検討が重要です。ラムネを飲んで仮に思い込み効果でよくなってもほとんど害はありませんが、向精神薬を一度飲むとプラセボ効果でよくなっても、非常に重篤な問題が出現します。それが依存症状であり禁断症状なのです。
ここでは副作用は扱いません。いわゆる副作用が多いこと、依存を形成すること、禁断症状が出ることが、向精神薬がプラセボ効果より効果が低いことの本質です。だからプラセボ効果が一番感じられる時点で、すでにその人にとって副作用は出現していないので除外するのです(隠れ副作用はあります)。副作用と禁断症状をきちんと区別することが重要です。
五つ目でいうとプラセボ効果ではない明確な作用が向精神薬にはあります。それこそ麻薬や覚醒剤のような作用です。
たとえばある患者がうつや不安に陥っていた場合、向精神薬を飲んだとして奇跡的に副作用が出なかったと仮定しましょう(その率が低いので向精神薬はプラセボ効果以下でしたね)。その場合、プラセボ効果的によくなったと感じる人もいますが、そうではなく覚醒剤的作用でよくなったと感じる人もいるということです。だから置き換えればいいのです。
うつや不安のときに覚醒剤やMDMAを飲んだとしたら、人間はどのような反応を示すでしょうか?
奇跡的に副作用が出なければ、「ああ、気持ちいい。おかげでうつや不安がなくなったわ⊥という感覚になるでしょう。しかしその時点で明確な副作用が出ていなくても、物質的に考えればもうその薬から逃れることはできません。
これは最初の治癒の定義とも関連してきます。これこそが精神医学が目指している寛解の正体です。
そして最後の救われたという問題、これはいったい何を意味する言葉なのかということです。
日本人は、目先の利益にとらわれてその場をしのげれば救われたと考えます。つまり、目先の精神的症状や精神的諸問題が「見せかけ上消えれば」日本人の多くは満足なのです。まさにその代名詞がドラッグであり向精神薬で、それは問題の先送りにすぎず必ず後で代償や不幸を呼び込むのです。
向精神薬を飲んでいると精神力がどんどん弱くなっていくのは、多くの研究で示されていますし、身体的にも多くの臓器に障害をもたらします。また問題自体も本質的に解決していないので、長い間薬を飲まざるをえなくなるのも当たり前です。
問題があるのに感じないということ、受容するということは本質的な問題、人生に出現してくる数々の諸問題から逃げている状態なのです。そういう人は自分が不幸をまねき寄せているにもかかわらず、それが自分のせいだと気づくことはありません。臭いものに蓋をする人間に、次から次へと問題が起こるのは必然でしかないのです。そして薬を飲んでいればそれに対処する能力さえ奪われていきます。
結論をまとめると、精神疾患は存在しないのに、向精神薬を投与すると大半はその副作用率の高さからどんどん弊害を起こします。少数の人はプラセボ効果で治った気になるか、覚醒剤的作用によって飲んでいるときだけ治った気になりますが、結局万人がその依存性と禁断症状とアップレギュレーション(脳内がその薬によってつくりかえられていく現象)から逃れることができません。
そしてその少数の人は向精神薬でよくなっていると勘違いするため、本質的な諸問題に対処することができなくなります。精神自体も向精神薬を飲むことでどんどん弱くなります(これを精神的脆弱性の増加と呼びます)。
つまり誰も救われることはないのです。これを根底から理解できないかぎり、向精神薬を抜くことはできません。
以上、抜粋終わり
どんな薬にもプラセボ効果というものはあります。
もちろん精神薬にもありますが、
しかし精神薬の方は、
副作用の問題が深刻なため、
飲めば始めはいいけど、
後が怖いよということです。
それでもよければ、
どうぞお飲みください。
苦しむのはあたなです。
という結論になりそうです。
お医者さんが薦めるからじゃなくて、
本当によく検討して、
それでもいいと思えれる方は、
服用してください。
引用元:うつ病からの脱出ー向精神薬で救われる人はいるのか? 2-
今回は向精神薬で救われる人はいるのか?というテーマを2回に分けてお伝えします。
著書『心の病に薬はいらない!』から下記抜粋します。
気づかないうちに詐欺にかかっている?
「向精神薬で救われている人はいるか」という愚問が存在します。
結論から言うと、まったく救われている人はいませんというのが当然の答えですが、これには繰り返し述べているように知識が必要になります。
一つは精神や心にとって(というより医学にとって)の治癒とは何か、という問題。
一つは精神疾患が存在しないと言い切れる理由をどこまで理解しているか、という問題。
一つは向精神薬とは科学的、分子学的にどのような物質であるか、という問題。
一つはプラセボ効果とは何か、という問題。
一つは向精神薬がそのプラセボ効果以下であるにもかかわらず、効いていると感じる人が一部いる、という問題。
一つは救われたという言葉がいったい何を意味するのか、という問題。
これらを見たうえですべて問題点を指摘できるようでなければ、向精神薬を抜くことはできません。もし当事者が問題を指摘できないくらい向精神薬で破壊されているなら、家族がこのことを理解しないかぎり抜けることはありません。
まず一つ目からいくと、精神医学で言う「寛解」(病気の症状が一時的あるいは継続的に軽減した状態)という言葉は、精神医学が治せないことを隠すための言い訳にすぎません。治せないだけならまだしも、悪くしてそれを隠すからさらに始末に負えないのです。
ここでは治癒の定義が必要になりますが、当然ながら治癒とは薬をやめて病院から卒業することを意味します。これ以外のものを治癒とは呼びませんし、少なくとも私は認めません。
いったい精神医学の中で治癒をもたらしているものがどれだけいるかと言えば、ゼロかどうかはわかりませんが、かぎりなく少ないとしか一言えません。軽い症状などの場合、たとえ精神医学であろうと治ってしまう場合もありますから、そのあたりも除外する必要があります。また当事者にとっては苦痛以外の何物でもないとしても、家族や精神科医にとって都合がよければそれで寛解とされてしまう場合もあります。
たとえば虐待してきた親に、反逆して暴力をふるう→親が精神科医に受診させる→薬で何もできなくさせる、というのも寛解とみなされてしまいます。
二つ目は当事者にとって最も重要でしょう。
なぜ精神疾患が存在しないと言い切れるのか?私のあの苦しみは何だったのか?という質問は多くされる質問です。
まず精神症状の普遍性について理解しなければなりません。不安や強迫やうつから、果ては錯乱に至るまでその症状は人間として理由があるものであり、ほとんどが社会的なものだという理解が必要です。予想不能な出来事や自分の嫌なことが起きればパニックを起こすのは当然ですが、精神医学や心理学に洗脳されている人々は、それが異常で「疾患」であると考えてしまいます。
強迫観念も同じで、頑固、信念、執着、妄執など、似たような意味に置き換えることができます。人間が知恵や知能を持っている以上、こだわりを持つのは必然でしかなく、そのこだわりが変わるときとは、大きすぎる外的変化が起きたときか、こだわりを持つ人が負けたときくらいしかありえません。
人格障害という言葉もありますし、確かにそういう行動形態は存在するでしょう。しかしこれも言葉を変えることができます。サイコパス、トラブルメーカー、自己中、わがまま、ナルシストなど。これらが「良」と言っているのではなく、これらを疾患だととらえることが間違いだと言っているのです。
気分変調も同じです。誰にでも必ず存在するものですが、現代ではそれがむしろおかしいかのように洗脳されています。
PTSDという病名もあります。確かにその状態は存在するかもしれませんが、そうするとやはりほぼすべての人間がPTSDになります。トラウマを抱えていない人間などこの世にはいないでしょう。戦争体験者、被災、犯罪被害、いじめ経験、パワーハラスメント、DV、虐待その他諸々、今の世の中にそれらを何一つ体験せず生きてきた人がどれくらいいるでしょうか。
書けばきりがないのですが、つまりこれらのことは精神的苦痛がないと言っている わけではなく、疾患化することの無意味さと科学性や根拠のなさを指摘しているのです。その精神的苦病はあくまで精神的苦病でしかなく、精神的諸問題でしかありません。
「~病」でも「~障害」でもないのです。
医学的な根拠がなく科学性がないのなら、それを医学で治せるということはありえません。そして治せないのに人々は治せると勘違いして病院に通うわけです。それらを疾患化する理由はすべて精神医学の利益のためであり、「殺人」という目的のためでしかないのです。
三つ目の向精神薬がどのような物質かについては第4章を参考としてください。
以上、抜粋終わり
もともと精神疾患は、
病気と定義したところから商業化されました。
本来精神の問題に対して病気などないのです。
一点の問題に”とらわれ”てしまい、
抜け出せなくなってしまったため、
心や体がトラブルのシグナルを発しているわけで、
その”とらわれ”から抜け出せれば、
問題は解決してしまいます。
その人の執着と言っても良いかもしれません。
手放さないのですから。
そしてその問題は、
その人自身が解決すべき、
人生の課題なのです。
その認識と心構えを持てたとき、
解決の糸口が見つかります。
病気と捉えるのは、
そこから逃げたくて、
その方が問題と向き合わずに済むため、
心地良くなるからです。
人生は常に自分との闘いです。
自分に勝てなければ前に進むことはできないのです。
その自覚を持たない限り、
前に進むことはできません。
うつ病から脱出したいのであれば、
前に進むしかないのです。
引用元:うつ病からの脱出ー向精神薬で救われる人はいるのか? 1-
今回は向精神薬とはいったい何なのかというテーマでお伝えします。
著書『心の病に薬はいらない!』から下記抜粋します。
向精神薬と麻薬はほとんど同じ?
次はよく示す表ですが、向精神薬と麻薬や覚醒剤をいろいろな意味で見比べてみると、いかにこれらが凶悪な存在かが理解できます。

つまり向精神薬によって悪くなったり、一時的によくなった気がしたり、やめることができずに悩んでこの本を開いたのは、ある意味で必然なのです。
【向精神薬】
・抗うつ薬はセロトニンの取り込みを阻害する
・メジャートランキライザー(抗精神病薬)はドーパミンの活動を抑える。セロトニンにも作用する
・抗パーキンソン病薬はドーパミンを増やしたり刺激する
・抗不安薬はベンゾジアゼピン結合部に作用し、ノルアドレナリンやドーパミンを抑制する
【麻薬・覚醒剤】
・MDMAはセロトニンの再取り込みを阻害する。細胞内セロトニンを高める
・LSDは脳内のセロトニンシステムに働きかける
・覚醒剤はドーパミンを放出し取り込みを阻害する
・コカインはセロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリントランスポーターを阻害する
・ヘロインはモルヒネの親戚でセロトニンやGABAを増やすとされる
今の向精神薬に関する仮説はすべて嘘である、というのが根幹です。
元々その仮説はモノアミン仮説と言って、1960年代にジョゼフ・シルクラウドという人物が提唱し始めたものです。ごく簡単に言えば、セロトニンが減少している→うつ病である、とか、ドーパミンが増加している→統合失調症である、という仮説です。
しかしその仮説はすでに嘘と証明されており、これらの薬を見てわかるように、薬物があるホルモンに作用するのを動物実験として証明したにすぎません。逆に説明すれば、たとえばうつ状態の人がいるとして、その人は実はセロトニンが高いかもしれないのです。正確に言えば高い人もいれば低い人もいて統一性がありません。いまだ誰も100%の科学的因果関係を証明した人がいないのです。
おそらくこの日本にうつ病と診断されている人は100万人近くいますが、その中で直接セロトニンの脳内濃度を測った人はいないと思います。私も測定することができません。測定することもできないのにどうしてこの仮説が成立するのでしょうか?
これが、いわゆるセロトニンやドーパミンブームの始まりで、まったく根拠のない嘘であり、それは今のグルタミンブームにも続いているわけです。
ナンシー・アンドリアセンという医師の有名な論文に、向精神薬を1種類飲むだけで脳は1年に最大1%萎縮するというものがあります。しかしそれはわざわざ論文にしなくても、薬物の歴史背景と現実をたどるだけで、素人でもわかりそうなものです。
逆に言えば向精神薬が脳を悪くしないというなら、その人は違法ドラッグが脳を悪くしないと主張してもらわないと困ります。依存も禁断症状も違法ドラッグにはまったくない、と言ってもらわないとつじつまが合いません。
向精神薬も麻薬も覚醒剤も、その薬理学的特性から依存症の形成と禁断症状に至るまで酷似しているのです。それでもそれらが違うと言っている人は、単なるアホか確信犯にほかなりません。
モルヒネに関しても、医学書では依存性がないと断言しきっているものもありますが、よく考えれば恐ろしいものです。モルヒネはヘロインの元になるアへンなので、そう違いなどあるはずがないのです。これも元の論拠になっているのは意味のないモノアミン仮説と動物実験です。
そもそも末期のがん性疫病に使われることがほとんどのモルヒネで、依存性の証明などするはずもないですから。
逆に、だからこそモルヒネは使用を検討する余地があるのです。依存性云々を考慮するより、今の状態を緩和するほうが重要なステージにいるからこそ、許容されうるのかもしれません(とはいえ危険な物質です)。しかし他の向精神薬にその許容性があるとはほとんど思えないでしょう。
向精神薬を抜くうえでは、この薬が麻薬や覚醒剤と同じレベルであるという認識を強く持つことです。それは常に禁断症状の危険性を秘めています。抜いたときや減らしたときに頭痛、体の痛み、食欲の低下、ソワソワ感やイライラ感、不安の増強、動悸、手足のムズムズ感や感覚異常など、これらは代表的な禁断症状ですが、実はこれくらいは軽いほうなのです。重い禁断症状になると自殺企図、人を襲うなどの他害行為、記憶の消失、錯乱、退行症状などが出現しうります。
それらすべてを本人はもとより家族も理解していないかぎり、向精神薬を抜くことはできません。
以上、抜粋終わり
以前から指摘している通り、
精神疾患の病理は、
すべて仮設です。
最近はそのことが間違っていることも、
わかってきました。
その事実を日本人だけが、
未だに知りません。
自分は何の努力もせず、
ただ医者に頼っているからです。
まず自分と向き合い、
どうすれば良くなるのか?
自分で調べ、
行動した人しか、
回復することはありません。
自分のことなのですから、
他人任せにしているうちは、
絶対に良くなることはないのです。
すべては自己責任です。
その意識が持てない限り、
うつ病から脱出することはないでしょう。
引用元:うつ病からの脱出ー向精神薬とはいったい何なのかー

