ライズ・オクトーバー・ライズ  [52] | Kのガレージ

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“書く”ということを続けていたい。
生きたという“あかし”を残したい。

「おじいちゃん、新聞ある?」タケルは家に帰るなり茂に尋ねた。

「あ?すんぶんが?そごさ、あるべ」

 茂が顎をやった先、こたつの薄いオレンジ色のテーブルの上に、森若日報の夕刊が置いてあった。手に取ったら、もう茂が読んだあとだったのがわかった。タケルは滅多に読まない夕刊をくまなく読んだ。そして一つの記事に目が止まった。

 

 昨夜、森若市酒名町アーケードで高校生と大学生の数人が喧嘩。二人が病院に搬送。高校生一人と大学生一人が傷害容疑で逮捕。他、数人が警察に補導——。

 

 タケルは全身が総毛立った。閉じた夕刊をこたつのテーブルに戻して、ゆっくりと二階の自分の部屋に向かった。古い板張りの階段が静かにミシミシと鳴った。聞き慣れているはずなのに、永遠に鳴り止まない音のように聞こえた。

 

 薄暗い廊下から集会室に戻った美咲は、哲太が補導されたこと、週明けまで自宅謹慎になったこと、謹慎中は部活に参加することも禁じられたこと、大会には哲太以外の十一人で出ることを、震える声で部員たちに告げた。隣で顧問の小林が、神妙な顔つきで無言のまま頷いていた。

 怖ろしいほどに静まり返った集会室は、十一人の高校生と一人の大人がいるとは思えないほど無音になった。息すらも聞こえなかった。部員全員の頭の中が真っ白だった。そこにいるすべての人間の思考が停止していた。慎太郎を除いては。

「俺、哲太の代わりにソロやるよ」

 長い静寂を終わらせたのは、場違いなほど明るい口調のその一言だった。「俺のポジションはタケル、お前やって」淡々とそう言ってタケルを見た慎太郎の表情は、冷静で、落ち着いていて、でも前向きに何かを決心したかのような顔つきだった。

「いいよな、美咲?」

「……」

 素っ気なく美咲に確認をとって、「じゃあ、そういうことで。やろうぜ」と慎太郎はパンパンパン!と手を叩いて、センターの位置に陣取った。

 今にも泣き出しそうな美咲の顔を、慎太郎はまともに見られなかった。まともに見たら確実に弱気になってしまう、下手したらもらい泣きしてしまうかもしれない、そんな気がした。

 そして、怖かった。チームは一瞬でどん底に落ちてしまったような雰囲気だった。逃げ出したくなった。そんな怖ろしい状態を一秒でも早く抜け出すためには、無理矢理にでも前を向くしかなかった。哲太の代わりにソロをやると言ったのは、そのための口実のようなものだった。

 自信はある。哲太のパワームーブとはまったく違うけれど、違うなりに、自分のテイストでソロをとれる自信が。トップロックなら、少なくとも森若高校ダンス部の中では誰にも負けない。もちろん哲太にも。

 味わったことのないような空気の中で、センターに慎太郎を据えたフォーメーションでの練習が始まった。みんな顔が真っ白だな、無理もないか、鏡を見ながら慎太郎はそんなことを考えて踊った。一回、二回と、通しの練習を重ねていくうちに、慎太郎以外のメンバーの顔つきが変わっていった。

 ——大会は明後日なんだ。

 ——泣いても笑っても、土曜日は来るんだ。

 ——今さら止まってられるか。

 ——やらなくちゃ。

 そんなセリフが全員の顔に書いてある、恥ずかしながら初めて練習を最後まで見守った顧問の小林は、そんなことを考えていた。決意のにじみ出たような顔をして懸命に踊る若者たちを、小林は心から応援してあげたいと思った。

 

「なんとか、ならないでしょうか?」

 金曜日。小林は校長室を訪ねて、哲太の謹慎を解かせてもらえないかどうか、校長に交渉していた。

 交渉の余地は充分にあった。哲太のクラスの担任から詳しい事情を聞いたところ、実は哲太は補導されたわけではなくて、警察から事情を聞かれただけのようだった。そして夜のアーケードで発生した高校生と大学生による大乱闘に、哲太はただ巻き込まれただけで、暴力も振るっていなければ振るわれてもいなかった。たまたまその場に居合わせていたから、運悪く警察の世話になってしまって、さらに身の潔白を証明するのに時間がかかってしまった。哲太の両親が警察署へ迎えに行って哲太を引き取ったのは、木曜日の明け方だったらしい。

 哲太は何の悪事もはたらいていない。むしろ面倒ごとに巻き込まれてしまったという意味では被害者だった。それでも校長はこれっぽっちも譲らなかった。

「補導された、いや、補導まがいのことがあった、ということを問題にしているのではないのです。夜の街をうろついていた、そのことが問題なんです。我が校は進学校です。文武両道、勉強も部活も一生懸命、そんな我が校の生徒が、夜の街をうろついているなんてもってのほかなんです。その自覚を持ってもらうための、謹慎処分なんです」

 部活の大事な大会があるんです、哲太君がエースなんです、哲太君がいないとチームはベストのパフォーマンスができないんです……小林がどんなに食い下がっても、校長は頑として聞かなかった。

「週明けから登校できます。短期間ですが充分でしょう。当該生徒にはきちんと反省を促していただきたい。そして教職員一同、今後このような生徒が一人も出ないように、生徒指導にあたっていただきたい」

 校長は最後にそう言った。そして哲太の謹慎処分が正式に決まった。ダンス部が、哲太抜きで大会に臨まなければならないことも。