ライズ・オクトーバー・ライズ  [9] | Kのガレージ

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“書く”ということを続けていたい。
生きたという“あかし”を残したい。

 賢三の家がそうだったように、茂の家にも広い庭があって、畑とビニールハウスがある。農機具や藁や薪を保管するための納屋もある。納屋はロフトのような中二階のある大きな造りで、土埃や若干のカビ臭ささえ気にしなければ、三人家族ぐらいなら難なく住まえるほどの広さだ。当然ながら母家はそれよりも広い。この辺りの家々のほとんどがそんな敷地をしている。

 昨日茂と歩いた道を辿ってタケルが賢三の家に着いたとき、賢三は納屋で農業用の運搬車の手入れをしていた。雲の隙間から控えめな日差しが届く、森若の春先らしい暖かい午後だった。庭に植えてある小さな梅の木には白い花がたくさん開いていた。

 「おう、タゲル君、太鼓やるが?」賢三はタケルを目にすると、作業の手を止めてにっこり笑った。目尻を頬まで下げた優しい笑顔だった。タケルが来るのを少し楽しみに待っていたようにも見えた。

 「はい、よろしくお願いします」

 「今、準備するがら、少す、待ってで」そう言って作業に使っていた道具を片付け始めた賢三の手を間近で見たら、昨日見たよりもずっと色黒で、ずっと骨太だった。土のような色をした指先はゴツゴツとした質感で、相当な握力がありそうな感じがする。きっと何年も力仕事に従事してきたのだろう。東京から来たばかりのタケルにもそれが想像できる手だった。

 納屋の外の水道で簡単に手を洗ってから、賢三は引き戸が開けっ放しになっている納屋の中へ入っていくと、「こっつさ、来ぉ」と言ってタケルを招き入れた。ひんやりとした空気が漂う納屋の入ってすぐ左手に、木製の平台を二枚つなげて作られた、三畳ほどのちょっとした舞台のようなスペースがあった。その上に黒い太鼓が二台、置いてある。

 「これ、森若太鼓の太鼓だ」

 賢三はそう言って太鼓を一台持ち上げると、バチでトントン、と軽く打面を叩いてみせた。

真っ黒い円筒形をしたそれは、胴の部分を挟んだ左右の打面の部分の直径が、胴の部分よりも五センチほど大きい。打面にはクリーム色の皮が張ってあって、外側の十センチほどの黒い縁の部分には、赤い三角模様が皮の外周に沿ってぐるりと施されている。縁の部分には小さな穴が空いていて、その穴から通された白いロープ状の紐が、左右の打面の縁を互い違いに行き来して、胴の中央部分で結ばれている。賢三に持ち上げられて斜めに浮いた太鼓を見て、タケルは砂時計を思い浮かべた。実際には、直径五十センチほどの太鼓の胴は、砂時計に比べるとずっと太くて短い。

 「まんず、座ってみで」賢三が靴を脱いで平台に上がると、太鼓の前にあぐらをかいた。タケルも平台に上がって、向かい合うように置かれたもう一つの太鼓の前に座った。

 「おんなずように、叩いでみで」賢三は右手でドン、と一度、太鼓の皮を叩いてみせた。納屋の中に低く乾いた音が響いた。

 ——同じように叩く……。

 賢三に言われた通り、タケルもドン、と右手で一度、太鼓の皮を叩いてみた。思っていたよりもバチは重かった。賢三よりも軽くて弱々しい音が納屋に響いた。

 「んだ。もぅ一回な」

 ドン、とまた賢三が太鼓を叩いた。低くて乾いた音が納屋に響く。その余韻を耳にしながら、タケルもまたドン、と叩いた。

 ——おおっ……!

 平台から尻を伝って、身体中に振動がジーンと響き渡る。タケルは俄然、面白くなった。

 「んだ。そすたら、ゆっくり、やるがらな。真似っこすんだぞ」

 賢三がそう言って、またドン、と一度叩いた。今度はただ叩いただけじゃなかった。叩いた右手と反対の左手は、バチで天を差すように高々と掲げられていた。

 ——!?

 真似っこをする。賢三から言われた通り、右手でドン、と鳴らすのと同時にタケルはバチを握った左手を突き上げた。それを見てにこっと笑った目の前の賢三は、次に逆のことをした。今度は左手でドン、と鳴らして右手を掲げた。右手のバチは真っ直ぐ天井を差している。

 タケルも同じように左手で叩いて右手を掲げた。賢三はそれをゆっくりと、交互に、右手で叩いて左手を挙げ、左手で叩いて右手を挙げ、同じテンポで繰り返した。向かい合ったタケルも、それに合わせて同じように繰り返した。

 「よす、んだら、次」賢三は右手、左手、右手の順番で、打面の縁の部分をカッ、カッ、カッ、と鳴らした。タケルも真似してカッ、カッ、カッ、と鳴らした。

 「いい音だべ?」

 「はい、いい音です」

 二人は笑った。ひんやりとした納屋が少しだけ暖かくなったような気がした。タケルは何度かカッ、カッ、カッ、カタカタカタ……と縁の部分を叩いてみた。軽やかで可愛らしくて、明るくて愉快な音だ。皮の部分のドン、ドン、という低くて少し厳かな風情も漂う響きとは対照的な響きだ。タケルはまた面白くなった。

 「すたら、まだ、真似っこすてみで」

 ゆっくりと、右手でドン、左手でドン、その次に賢三は右手、左手、右手の順番で縁の部分をカッカッカッ、とやった。タケルが音を一つひとつ真似っこして追いかけた。

 

 ドン、ドン、カッカッカッ。

 ドン、ドン、カッカッカッ。

 

 何度か真似っこを繰り返しているうちに、自然に、段々と、タケルの演奏が賢三の演奏に重なっていった。

 

 ドン、ドン、カッカッカッ。

 ドン、ドン、カッカッカッ。

 

 シンクロした二人の太鼓の音が納屋に響いた。ゆっくりとしたテンポのまま賢三が続ける。一息遅れてタケルが合わせる。たまにタケルが賢三のテンポを追い越してしまう。それがわかったうえで、でも引きずられることなく、賢三は笑顔のままゆっくりとしたテンポを一定に保って叩き続ける。

 突然、賢三がカタカタカタカタカタ……と縁を鳴らした。

——あっ、それ!

 駅前で見た一団が、演舞の最後に鳴らしていたやつだ。きっと終わりの合図だ。そう思って嬉しくなったタケルは、同じようにカタカタカタカタカタ……と縁を鳴らしてみせた。

 「ハハハ、いい、いい。初めでなのに、上手だじゃ!」賢三は嬉しそうに笑った。

 「はい、楽しいです!面白いです!太鼓」

 バチを握る両手のひらには汗がにじんでいる。額にも汗を浮かべて、タケルもまた嬉しそうに笑った。

 

 タケルが始めて森若太鼓を叩いた日。春のぼんやりとした夕日が、川向こうの山々の陰に沈むまで、納屋に二人の太鼓の音が響き渡った。