見るアート、体験するアート。
83年ころは、アルスにも参加していた、
今は亡き、ナムジュン・パイク。
彼の、回顧展を見に、ワタリウムに行ったのは、
何週間か前でした。
展示されていた、タブローやオブジェは、
実際、そんなに、よいものでは、ありませんでした。
それは、なぜだろう、と考えた時に、
前回、アルスのエントリを上げる際に検索した、
アルスの過去記事 にあった、
「見るアート。体験するアート。」の、2つの違いのことを、
思いました。
ナムジュン・パイクは、
「見るアート」の作家ではなく、
「体験するアート」の作家だった。
だから、回顧展に展示されている
「見るアート」は、ショボかった。
彼が、その本領を発揮したのは、衛星中継を使った
生放送TV番組アート・イベントとでも、いうべき、
「グッド・モーニング・ミスター・オーウェル」であり、
「バイバイ・キップリング」であった、わけです。
彼のアートの、醍醐味・魅力は、
やはり、ライブに、同時代に、その時に、(同じこと言ってますが)
同じ世界にいて、あじあわなければ、わからない。
会場で、韓国製の大画面TVに映されていた、
VHSで、もはや、ブリブリに解像度の荒れた、
「グッド・モーニング・ミスター・オーウェル」を見た時に、
昔、それを、見た時の、ワクワクした感じ、こりゃスゲエと思った感じ、を
思い出し、これは、やはり、よいなあ、と思ったのでした。
で、何が言いたいか、というと、、
「見るアート」から「体験するアート」への変遷の、アナロジーとして、
「見る広告」から「体験する広告」への変遷を、語りたいわけです。
広告は、美術品にあらず。
リアルタイム性、同時代性、が大事だろう、と。
今、制作者が発信したことに、
今、ユーザーが反応することが、大事なのだろう、と、
思うわけです。それは、別に、インタラ広告に限らずです。
虫プロと、サンライズ。
相変わらず「ガンダム」について、考え続けているのですが、
実は、これに関して、重大な結論にたどりついたのですが、
その、結論をエントリーする前に、気づいた大事なことを、
先に、上げておきます。
前回のエントリーを、上げたあと、
「本当のところは、どうだったんだろう?」と、思い、、
つまり、ターゲットや裏事情を、誤認してたら恥ずかしいなあ、と思い、
本棚から、
という本を取り出して、朝方、自分の部屋で、
立ち読みしていました。
その本に書いてあった、重要なこと。
まあ、考えすぎかも、しれないのですが、大事なこと、を
以下に上げておきます。
時は、1970年代後半。
「ガンダム」を作った、日本サンライズという、アニメ制作プロダクションは、
「虫プロ」から出た居場所のない人たちが、旗揚げした会社だったワケですが、
資本金があまりなく、人気のある「原作」を買う「お金」が、なかった、そうです。
それで、「しょうがない」ので、「オリジナル企画」を作った、と。
そして、アニメ制作会社として、「後発」ゆえ、
何か「エッジ」を立てないと、
すでに、出来上がっていた「既存アニメ業界」に、食い込めない、、、
そこで、「玩具のプロダクトの企画」と
「その玩具が活躍するストーリー」を、同時に開発して、
メーカーに持ち込むという、つまり、
「オリジナル・ロボット・アニメ専門」の制作会社、というエッジを、立てたそうです。
別に、そういうスキルがあったわけではなく、
そうしないと、やっていけないから、「しかたなく」スキルを身につけた。
そして、やがて、生まれたのが「ガンダム」。。。
チーフ・シナリオライターの星山氏は、この本の中で、
「低く見られていたロボット・アニメだったからこそ、
ロボット・アニメで、『人間ドラマ』をやって、何がいけないんだ、と
いつか、やってやる、と思っていた」と、語ってらっしゃいます。
そして、ガンダムは、若い世代に圧倒的な指示で、受け入れられた、、、
これって、何かに、似てないですか?
WEB広告界に、似てませんか?
・・・ていうか、そうありたい、と思いませんか。
お金がないから、手に入る「自由」がある。
勝手にやってよいから、「がんばれるところ」がある。
そして、「新しいユーザー」に指示されて、行きたい。
なぜなら、「面白いから」「新しいから」「今までになかったから」。
このエピソードを読んだ時に、そんなことを思いました。
(*ちなみに、知ってる人には、言わずもがなですが、
手塚治虫の作った「虫プロ」は、その後、倒産したわけです。)
つぶやき。。
しかし、、、大きな声では、言えないけど、、
アメブロって、、よく、オチる、よなあ。。
しかも、力作書いたときに限って、、
バックアップしてないときに限って、、
オチるん、ですよねえ。。
やっと、時間できた、って、午前2時くらいに
アクセスすると、、朝7時まで、と称して
メンテやってるし。。。けっこう、しょっちゅう。。
、、タダだから、文句言えないんですけど。
(こんな重要なインフラを、みんなが、無料で
使ってるというのも、まあ、すごいことだとは、
思うのですが)
(、、しかし、mixi って、オチないですよね。
行ったとき、メンテだったってことも、記憶にないし。
やっぱ、すごい、なあ、と、思います。)
ロボット物、考察、つづき。
何か、すごく、大事な気がしており。
その昔、ガンダムで不動の評価を勝ち取る前の、
富野氏らが、いったい何をしていたか?
ぶっちゃけ、言うと、、、こう、かなあ、と。。
玩具メーカー(当時は、タカトクトイスとか、
今はなきポピーとかだったと、思う)に、
小学5年生くらいに売りたい、玩具
(まあ、超合金もどきや、ジャンボマシンダーもどき)の、
デザイン企画と、その玩具が活躍する番組を提案して欲しい、
という、オリエンに対して、、、、
ある時は、、、「ロボ=量産される兵器」として、
スペース・コロニー構想、移民、イデオロギーの争い、
人類の意識進化、戦争、戦争に巻き込まれる青年、
青年のモラトリアム、その成長、終戦、、、という、プレゼン。
また、ある時は、、、「ロボ=謎の古代遺跡」として、
2つの異なった文明系、宇宙意志に試さるその2文明の接触、
人間同士の蔑視、業、さらに凄惨な戦い、滅亡、霊的会話と合意?、
宇宙意志による再生=生命系のやり直し、、、というプレゼン。
そして、常に「打ち切り上等!」
これって、すごくない?
もし、今、弊社に、こんなブチ切れたチームがいたら、
「もっと、得意先のオリエンに答えようよ」とか、
「もっと、ちゃんと仕事しようよ」とか、言われるのだろうか?
それとも、特攻野郎として、尊敬を集めまくるのだろうか?
それは、わからないのだが、
「こんなもん、いいんだよ!だまくらかして、やっちまえよ!」とか、
「どうせ俺達、額縁に入る文化じゃねーんだから、好きにやろうぜ!」とか、
そういう、ある種「ほったらかされる場」があって、
そこで、仲間内で「真剣」に盛り上がって、好き勝手やれる、、、というのが、
新しいモノを作るための、孵卵器として、すごく機能しただろうなあ、とは思います。
もちろん、その中でも、どうでもいい「ロボット物」を作ってた人が、
大多数だったわけで、
富野氏らに、勇気と才能があったのは、間違いないのですが。
富野氏にとっての「ロボット」。自分らにとっての「広告」。
友人のF君の名言に、
「広告を、作るな。 広告で、「何か」を作れ。」
というのがあって、うまいこと言うなあ、どうも、と
思っていたのですが、
一昨日の夜くらいに、なぜか、ふと、
ガンダムの富野喜幸(←改名前)氏の昔のインタビューを
思い出して、少し大事なことに、気づきかけたので、
ログしておきます。
昔、よく富野氏は、アニメ雑誌のインタビューに答えて、
「自分は、ロボット物しか、やらせてもらえなかった。
それが、いつも、本当に嫌だった。
だから、なんとか、そうじゃないものを作ろうとした。」とか、
語っていた。
しかし、あえて言うと、誰が、どう見ても、
その後の富野作品を見ても、
明らかに、彼は、「ロボット物」が好きなはずである。
その「ジャンル物」の中で、いかに、毎回、
「ロボットの概念を変えるか、超えるか」に、知恵を絞っている、
のだと、思う。
自分らの青春時代=70年代末から、80年代なかば、は
ロボットの、豊饒な時代であった。
「ザンボット」「ダイターン」「ガンダム」
「イデオン」「ザブングル」「ダンバイン」と、つづく数年の中で、
富野氏や、その周辺によって、
「ロボット物」の概念は、塗りかえられていった。
若者たちは、その「新しい考え方」に、魅了された。
冒頭のF君の名言にならって言うなれば、富野氏の創作は、
「ロボット物を作るな。 ロボットで「何か」を作れ。」ということになる。
我らも、その昔、富野氏が「ガンダム」でやったようなことを、
「広告」でやりたい。
つまり、100%達者な広告でありながら、
広告の概念を超えて、それを改訂し、しかも、若者が熱狂するようなもの。
ある、と思うんですよね。。。別に、インタラに限らず。
断片化の理由
エントリーを更新できないまま、
上げようと構想してたネタが、古くなっていくのを、
もどかしく、もったいないなあ、、と思い、
やや、断片どまりでも、よし、として、
なるべく、多更新するよう、ここに、まず、
いいわけしておく、次第です。
やはり、ブログは、ログであり、システムあっての記述だから、
・リアルタイムが大事
・読み手との共時性が大事
・思いついたことを、すぐ記録に残すのが大事
(共時、共有、というのは、WEBにおける人と人の
コミュニケーションの基本価値ですよね)
というわけで、今後、なるべく、まめに
更新するために、断片的なエントリーを、
あまり推敲せずに、上げると、思います。が、
なにとぞ、よろしくお願いします。
(以上、いいわけ、でした)
月を、灯す。
「ムーン・ライド」という名の作品です。作品というか、イベントというか。
インタラクト・エレクトロ・パブリック・アートとでもいうべきか。
原理は、冗談のように簡単です。
リンツの街の、中世の面影を残す、中央広場に
膨大な数のダイナモ付き自転車を設置し、
昼間から、通りすがりの参加者に自転車をこいで、発電してもらい
それを、蓄電しておいて、夜10時に、
広場上空に上げた丸いバルーンに光を灯すというもの。
これが、なんで、いい感じなのか?
このロケーションと、上げたバルーンのちょうどいい低さ、
その灯りの色あいなどが、本当に、月っぽくて、、
街並み、広場の風情、皆が見上げる角度など、
とっても、ヨーロッパで見る月らしい情緒があったから、
でしょうか。エレクトロなのに。
図録やチラシなどで、サムネールを見た時は、
そんなん、こがなくて、いいよ、と思っていたのですが、
実際、こいでみると、けっこうペダルが重くて、、、
妙な、参加感と達成感がありました。
「灯った月」を見た時の感慨は、
実際、インタラクトした=自転車をこいだ者
ならではのものだった、と思います。
肉眼に対して、アニメする。
今回のアルス・エレクトロニカで、たぶん一番完成度が
高かったのではないか?と思うのが、
岩井俊雄さん+NHK技研の
「モルフォ・ビジョン」だったと思います。
これは長年、岩井さんが追求してらっしゃる
「アニメーション・オブジェクト」の最新・発展形。
私が、初めて見た岩井さんの「アニメーション・オブジェクト」は、
「ロートスコープ」を立体化し、「スリット」の代わりに
毎秒24回前後発光するフラッシュ・ライトと、
動画用の「目」の写真が貼り付けられた回転する「円筒」とが、同期するものでした。
(↓このころです。我が青春の80’sアートですね)
http://plaza.bunka.go.jp/museum/artistory/1980/index.html
今回、その発展形で出品されていたオブジェは、
その毎秒24~30回?当てる光の形=スリットの形を
変えることで、目に対して、ダイレクトにスリット・スキャンのように、
定型の立体を変形視させるものでした。
スリットという原理だけにおいて、
リプチンスキーの変形する回転体の映像を思い出しました。
光の当たっているところだけが、その何十分の一の秒数の間、
目に残って見える。
当てる光が、直線1本、ジグザグ線1本、無数の点線、など
変わることによって、見える部分が変わり、
残像が統合されて脳に映ずる形が、グニャグニャと変わる。
極めてシンプルな構造ながら、
極めて面白い視覚体験のできる作品でした。
肉眼に対して、(というか、「脳」に対して)
直接、アニメーションを作る、というのが
とても、面白い考え方だと思います。
公式サイトは、コチラ。
http://www.nhk.or.jp/strl/morphovision/
技術的なことの詳細が、正しく書かれています。
メディア・アートから、メディア・バイイングへ。
やや日がたってしまいましたが、
アルス・エレクトロニカに行く前に、構想していた「テーマ」がありました。
それは、ずばり「メディア・アートから、メディア・バイイングへ」という野望です。
ピュア・アート側からは、邪悪と呼ばれるのかも、しれません。
でも、最新メディア・アートの、考え方、発想法、
アプローチの仕方、アイデアの核を、
新しいメディアを開発したり、売ったりすることに、
活用できないか?と。
広告屋としては、そのヒントを得たい、ものだなあ、と思っていました。
物見遊山でアート観光に行くのではなく。
アーティストとして、いつか自分もアルスに出品したい、というのでもなく。
新しい考え方を見て、刺激を受けたら、
今やってる「現業」に活かすべきである、と。それが、一番速いはず。
なんだって、使えるし。なんだって、あり得る。
新ネタを受容して、新しいことを考えたら、すぐそれを仕事にしたいものです。
それができれば、ずっと仕事は面白くありつづけるはず。
自分の新発見を、ユーザーさんにフィードバックすれば、
もっと面白い「状況」が実現するかもしれない。
新しい「現実」が作れる、かもしれない。
ネット界の人は、広告・非広告を問わず、そうやって頑張ってる気がします。
「アート」と「商売」の戦いには、長い論考の歴史がありますが、
しかし、大衆芸術とは、パクリあってこそ、発展するもの。
新しいエレクトロニック・アートも、新しいデバイス・アートも、
最新のメディア状況=最新のメディア・ビジネスと無関係では、生まれていないはず。
「アート」と「商売」が、お互いを尊敬しあい、吸収しあって、
しのぎを削りあい、出し抜きあってこそ、面白くなって行くのでは。
表現に、聖域なし。
新しいことを考え、面白いモンを実現して、人々=ユーザーの支持を得てこそ、
新しい文化=新しい現実になっていくと思います。
(添付画像は、会場のひとつで買った、中古のキーボードを再利用した、マグネット。
この考え方がステキだと思ったのと、ちょっとテクノテイストだったので)
↓かなり古い記事ですが、アルスとメディア・アートの20年をまとめてあるので、参考まで。
http://ascii24.com/news/i/topi/article/1999/10/25/605131-000.html?geta




