富野氏にとっての「ロボット」。自分らにとっての「広告」。 | インタラクリ

富野氏にとっての「ロボット」。自分らにとっての「広告」。

友人のF君の名言に、

「広告を、作るな。 広告で、「何か」を作れ。」

というのがあって、うまいこと言うなあ、どうも、と

思っていたのですが、


一昨日の夜くらいに、なぜか、ふと、

ガンダムの富野喜幸(←改名前)氏の昔のインタビューを

思い出して、少し大事なことに、気づきかけたので、

ログしておきます。


昔、よく富野氏は、アニメ雑誌のインタビューに答えて、

「自分は、ロボット物しか、やらせてもらえなかった。

それが、いつも、本当に嫌だった。

だから、なんとか、そうじゃないものを作ろうとした。」とか、

語っていた。


しかし、あえて言うと、誰が、どう見ても、

その後の富野作品を見ても、

明らかに、彼は、「ロボット物」が好きなはずである。


その「ジャンル物」の中で、いかに、毎回、

「ロボットの概念を変えるか、超えるか」に、知恵を絞っている、

のだと、思う。


自分らの青春時代=70年代末から、80年代なかば、は

ロボットの、豊饒な時代であった。


「ザンボット」「ダイターン」「ガンダム」

「イデオン」「ザブングル」「ダンバイン」と、つづく数年の中で、

富野氏や、その周辺によって、

「ロボット物」の概念は、塗りかえられていった。

若者たちは、その「新しい考え方」に、魅了された。


冒頭のF君の名言にならって言うなれば、富野氏の創作は、

「ロボット物を作るな。 ロボットで「何か」を作れ。」ということになる。


我らも、その昔、富野氏が「ガンダム」でやったようなことを、

「広告」でやりたい。


つまり、100%達者な広告でありながら、

広告の概念を超えて、それを改訂し、しかも、若者が熱狂するようなもの。


ある、と思うんですよね。。。別に、インタラに限らず。